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大谷吉継と言えば、豊臣秀吉の家臣として、また石田三成との友情のエピソードが有名な文武両道に優れた戦国武将です。

この大谷吉継の家紋ですが、実は2種類あるという事をご存知ですか?


吉継が使っていた2つの家紋の意味や、なぜ2種類の家紋を使っていたのかという理由についてご紹介します。
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大谷吉継の家紋は2種類あった!?


大谷吉継の家紋ですが、実は2種類あります。


1つめはこちらの「対い蝶」(むかいちょう)

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もう1つはこちらの「鷹の羽」(たかのは)

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それぞれの家紋の意味などについてご紹介します。

「対い蝶」(むかいちょう)


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まずはじめは「対い蝶」(むかいちょう)について。


大谷吉継はこの対い蝶の家紋を、1585年頃から使い始めたと言われています。


この時期は、吉継の主君である豊臣秀吉が関白に任命された時期と重なりますが、秀吉の関白就任とほぼ同じ時期に、吉継は従五位下・刑部少輔に就任しています。(だから「大谷刑部」と呼ばれる事があるんですよね)

そしてこの同じ時期に、吉継はもともと使っていた「鷹の羽」(たかのは)の家紋を、この対い蝶に変更したのだそうです。


「対い蝶」という家紋は、蝶紋と呼ばれる、いわゆる家紋をカテゴリ分けした分類の1つを、更に細かく分類したものの1つに当たります。蝶紋もともとは平家一門が活用していた紋として有名で、戦国武将の中では北条早雲や織田信長、池田輝政がこの蝶紋を使用していた事が知られています。


そして、大谷吉継自身も、桓武平氏の後裔の出だという説もある(異説もあります)のですが、吉継がこの対い蝶を使ったのも、自身が平氏の後裔であることを意識してのことなのかもしれません。

「鷹の羽」(たかのは)


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吉継が使ったもう1つの家紋「鷹の羽」(たかのは)の意味についても解説します。

この「鷹の羽」(たかのは)という家紋ですが、藤紋、桐紋、片喰紋、木瓜紋と並ぶ「五大紋」の1つに数えられるほど、非常に多くの人物に使われてきた事で有名です。


この鷹の羽を初めて使ったのは肥後(熊本県)の豪族、菊池氏とされており、また江戸時代になると、浅野長政、幸長の子孫である浅野氏がこの家紋を使った事で知られています。



この鷹の羽という家紋の意味ですが、「勇敢」という意味が込められているそうです。

鷹の羽が使われだしたのは鎌倉時代。当時は武家の武勇をあらわす「尚武紋」がよく使われていたのですが、その代表例とも言える家紋がこの「鷹の羽紋」にあたります。当時の武士はタカを「勇敢な鳥」と捉えていたようで、そのため鷹をモチーフにした家紋が流行したのだとか。そして江戸時代には、なんと120以上の大名家、旗本がこの鷹の羽を家紋として用いていたと言われています。


大谷吉継の話に戻りますが、上記で述べたとおり、彼は1585年頃から家紋をこの鷹の羽から対い蝶へ変更しています。しかしなぜか、1600年に起こった関ヶ原の戦いでは、彼は対い蝶ではなくこの鷹の羽を家紋として戦っているのです。

一体なぜなのでしょうか。


この理由については伝わってはいないのですが、個人的に思ったのは、吉継はこの鷹の羽紋を活用することで、勇猛果敢に戦いたいという思いがあったのではないかという事です。当時の吉継の病状は決して良いものではなかったため、こうした病気に負けず勇猛果敢に戦いたいという武士の心が、鷹の羽紋を使ったきっかけになったのではないかと感じます。

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大谷吉継の家紋はなんで2つもあるの?


そもそも、大谷吉継の家紋はなんで2つもあるのでしょうか。

そもそも武士が、複数の家紋を持っていても大丈夫だったのか。
気になったので少し調べてみました。


どうやら、当時の武士は「家紋を複数持つ」という事を、ごく当たり前のように行っていたようです。


武士にとっての家紋は、いわゆるコレクションみたいなもので、一家で2つや3つを持つのも当たり前だったそうです。また、武家の女性は嫁ぎ先ではなく実家の家紋を引き続き使っていたり、あるいは友好の証としてお互いの家紋を交換し合っていたというエピソードも残されています。


ですので、大谷吉継が対い蝶と鷹の羽という2つの家紋を使うことは、当時の常識からすると特に珍しい事ではなく、むしろ一般的だったと言う方が適切なのかなと感じます。

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この記事のまとめ


大谷吉継が使っていた「対い蝶」「鷹の羽」という2つの家紋について、この記事ではご紹介しました。

吉継は1585年から、当初使っていた鷹の羽から、家紋を対い蝶に変更しています。
また、大谷吉継の家紋が複数ある理由ですが、そもそも当時の武士が家紋を複数持つことは珍しい事ではなかったので、吉継のケースもその一例に過ぎないようです。

私の家の家紋は、後北条氏が使っていた事で知られる「三つ鱗」なのですが、他に使っていた家紋がないかについても、少し気になってきました。


なお、以下の記事では大谷吉継が使っていた刀についてご紹介しています。興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:大谷吉継が使っていた刀や関ヶ原での名言について!