
織田信長の性格って、実際はどんな感じだったのでしょうか?
私は子供の頃、ホトトギスの俳句や比叡山焼き討ちのエピソードから、短気で残忍な性格なのではないかと思ってました。こうしたイメージを持たれている方も少なくはないと思うのですが、その一方で、信長の長所には一体どのような面があったのでしょうか?
そこでこの記事は、「信長の長所と短所」という事をテーマに、信長の性格に関するエピソードを、長所と短所に分けてそれぞれご紹介します。
目次
信長の性格はどんな感じ?その長所を示すエピソードとは?
まず、信長の長所を示すエピソードから、彼の性格にまつわる逸話をご紹介します。
(優秀な人間には)非常に寛大
信長の長所として挙げられるのは、「非常に寛大」というエピソードです。
例えば、柴田勝家や林秀貞といった、信長がかつて弟、信勝との家督争いを行っていた時期に信勝側についた人々を許したというエピソードや、北陸戦線で秀吉が柴田勝家と仲違いして戦線を離脱した事を咎めなかったという逸話が知られています。また、謀反人の代名詞としても知られる松永久秀に対しても、2度もその行為を許している事でも知られています。
ただし、林秀貞など、これと言って目立った働きがない家臣については後々追放するという事もありました。信長の寛大さは、秀吉や柴田勝家、松永久秀といった、優れた武将でないとその恩恵を受けるのは厳しかったのかもしれません。
身分にとらわれない一面も
上の寛大な面と少し被りますが、信長は身分にとらわれない一面もありました。
まず家臣の登用に関して、足軽だった秀吉や忍者出身とも言われている滝川一益など、優秀な人材であれば身分に関係なく抜擢し、重く用いたエピソードは非常に有名です。
また、庶民と分け隔てなく接したというエピソードも有名です。
祭りの際は庶民と共に踊ることで人々を楽しませたり、安土城の内部を公開して武士、庶民を問わず大勢の人々を招き寄せたという逸話、障害者に対して木綿を与えてその世話をしたという話など、庶民に対する心配りを忘れなかったという逸話でも知られています。
この他にも、信長は相撲好きという一面があり、優勝した力士は氏素性にも関わらず家臣として召抱えたという逸話も残っています。少なくとも、信長は身分の差をあまり気にしない性格であった事は間違いありません。
※参照:織田信長は大の相撲ファン?土俵を考案した説の真相とは!?
前例のない事を積極的に実践する
信長の長所と言えば、やはり誰もが思いつかない事を積極的に実践するという点が挙げられると思います。桶狭間の戦いの奇襲攻撃や南蛮文化を受け入れる姿勢、長篠の戦いなど戦に鉄砲を持ち込んだエピソードは非常に有名ですよね。
他にも街道整備に関するエピソードも有名です。
当時、街道を整備するという事は他国に侵略されやすくなるという理由で、他の大名はあまり行っていませんでした。一方、信長は関所の廃止や川に橋をかけるなどの街道整備を実践。結果として人の行き来が盛んになり、経済が活性化する事で税収も増えたという好循環を引き起こす事に成功します。こうしたエピソードからも、信長が前例のない事を積極的に実践する性格であった事が分かります。
でも短所は見逃せない!信長の残念な一面とは?
人間の性格は、長所もあれば短所もあるものです。
信長の短所にまつわるエピソードも見てみましょう。
冷酷で使えない家臣に対しては厳しい一面も
信長の性格と言って真っ先に思い浮かべる部分ではないのでしょうか。
「鳴かぬなら殺してしまえ」の俳句に見られる通り、比叡山焼き討ちや一向一揆など仏教勢力に対する苛烈な処置は非常に有名です。他にも、浅井長政や朝倉義景の頭蓋骨を家臣に見せたというエピソードも、信長の残忍な性格を表す逸話として知られています。
(これは両者への敬意の表れであるという説もあります)
また、はじめにも少し触れましたが、使えない家臣については追放するなど厳しい一面もありました。前述した林秀貞以外にも、家督争いから信長に一貫して味方し続けた佐久間信盛を追放するなど、人事については厳しい一面で接した事でも知られています。
自意識過剰で他人の意見を聞かない
また、信長の短所の1つとして自意識過剰であるという点が挙げられるかと思います。
当時の日本へ訪れていた宣教師、ルイス・フロイスによると、信長は「日本においては信長自身が生きた神仏であり、石や木は神仏ではない」と述べており、フロイスもこの言葉には非常に驚いたそうです。
他にも、信長は家臣の意見を聞かず、重要な事は自分で決断していた事でも知られています。
家臣の意見をいちいち聞く信長・・というのも想像しにくいですが、逆に家臣の意見に耳を傾けていれば、信長の人生や戦国時代の結末は、また別のものになっていたかもしれませんね。
この記事のまとめ
信長の性格とそのエピソードについて、長所と短所に分けて解説してきました。
この記事を書く過程で思ったのは、信長は非常に自信家だったのではという事です。自分の考え、および行う事が上手くいくという確信が持てるからこそ、当時多くの大名が出来なかった事が積極的に出来たのではと感じました。
ただ自信家である反面、他人への気配りといったものからは縁遠い人だったという気もします。信長の寿命が60,70歳も続けば、この面が改善されたのかを考えるのも興味深いですね。
また、信長と言えば子供が20人以上いた事でも知られています。この点から、信長は非常に女性にモテるタイプだったのか、あるいは女好きという一面があったのでは?という事も想像してしまいます。
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