FireShot_Capture_165_-_宮沢賢治の似顔絵イラスト_I_かわいいフリー素__-_http___www_irasutoya_com_2016_01_blog-post_60_html

教科書や絵本で宮沢賢治という人の作品を読んだことがありませんか?

宮沢賢治は童話という子ども向けの文学作品を多く残した作家です。
どんな人だったのかを、年表を用いながら小学生の方にもわかるように解説します。

また、宮沢賢治の有名な作品についても5つご紹介します。
スポンサードリンク

宮沢賢治ってどんな人?小学生向けにわかりやすく解説


まずは宮沢賢治がどんな人だったのかを、小学生の方にもわかりやすいようにご紹介します。

宮沢賢治は1896年に岩手県花巻町(現在の岩手県花巻市)で生まれた童話作家、詩人です。子どもの頃から読書や鉱物採集が好きで、盛岡中学校に進学した後はこれらの趣味に加え、短歌を詠むなどの文学活動を始めました。

盛岡高等農林学校時代には『アザリア』という雑誌を作り、自作の短歌を発表しました。高等学校を卒業した後は現在の岩手大学にて研究生として土地の成分を研究する一方、文学活動にも打ち込んでいます。その中で一番有名なのは童話で、1918年頃から書き始めたと言われています。

1921年から農学校の先生として働き始める一方で、1924年には詩集『春と修羅』、そして童話集『注文の多い料理店』を出版します。1926年に先生を辞めた後は、農業指導と文学活動という二つの仕事をする日々を送ります。

しかし、もともと身体が弱かった事もあり、1928年には過労で肺の病気にかかります。一時期回復するものの、1931年には再び倒れてしまいました。この時、病床で詩「雨ニモマケズ」を作ります。賢治は病と闘いながらも執筆を続けますが、1933年に肺炎で亡くなりました。

宮沢賢治の年表を小学生の向けにわかりやすく解説!


ここでは宮沢賢治の年表を、小学生の方にもわかりやすいようにご紹介します。


・1896年(0歳)
岩手県花巻町(現在の岩手県花巻市)で、宮澤政次郎の長男として生まれる。

・1903年(7歳)
花巻川口尋常高等小学校に入学する。
読書や昆虫・鉱物採集が好きだった子供だと言われている。

・1909年(13歳)
旧制盛岡中学校に入学。短歌を詠むなどの文学活動を始める。

・1915年(19歳)
盛岡高等農林学校に入学する。
 
・1918年(22歳)
盛岡高等農林学校を卒業。1920年まで現在の岩手大学の研究生となる。

・1921年(25歳)
稗貫農学校の教師となる。

・1924年(28歳)
詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を出版する。

・1926年(30歳)
・教師を退職し、農業指導と文学活動に従事する。

・1928年(32歳)
急性肺炎にかかり、その後2年に渡る療養生活を送る。

・1931年(35歳)
病が悪化し、再び療養生活に入る。
詩「雨ニモマケズ」を書きとめる。

・1933年(37歳)
急性肺炎により無くなる。

スポンサードリンク


宮沢賢治は10代の頃から約20年に渡って文学活動をしていますが、その割には生きている間に書籍化された作品が少ないと言えます。賢治の作品は主に賢治が亡くなった後に評価されるようになりました。では、どんな作品が代表作と呼ばれているのでしょうか。次の項目で解説します。

宮沢賢治の代表作って?有名な作品を5つ紹介!


最後に、宮沢賢治の有名な作品を5つご説明します。


宮沢賢治の作品その1:「注文の多い料理店」
山に狩りをしにきた紳士2人は、山奥の料理店に入ります。その料理店の注意書きには「注文が多い料理店」と書かれていました。この料理店は客に料理を振る舞うお店ではなく、客を料理して食べてしまう料理店だったのです。賢治の生前に発表された童話集『注文の多い料理店』のタイトルになった作品であり、現在でも広く読まれています。


宮沢賢治の作品その2:「風の又三郎」
田舎の小学校に一人の少年が転校してきます。少年は、地元の子どもたちから「風の又三郎」ではないかと話題になります。子どもたちが少年とどのように関わっていくのか、現実と伝説とをどのように交わらせたりするのか、心の動きが豊かに表現されています。


宮沢賢治の作品その3:「銀河鉄道の夜」
友達から嫌がらせを受けている孤独な少年・ジョバンニが幼馴染であるカムパネルラと銀河鉄道旅行をするという物語です。美しい世界観から、賢治の名作と呼ばれています。また、映画やミュージカル、プラネタリウムなど多くのメディアとコラボレーションしている点が特徴的です。


宮沢賢治の作品その4:「セロ弾きのゴーシュ」
ゴーシュはセロ(チェロ)を弾くことが下手だったため、楽長からいつも怒られていました。そんなゴーシュのもとに動物たちが現れ、セロを弾くように頼みます。この経験によってセロの腕前が上達したゴーシュは、多くの人から褒められるようになります。腕前の上達だけでなく、ゴーシュの心の成長にも注目したい作品です。


宮沢賢治の作品その5:「雨ニモマケズ」
病気療養中の賢治が手帳に書き留めた詩です。締めくくりは「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書かれています。社会の厳しさに純粋な心を何度も踏みにじられ、体も思うように動かない賢治が、この詩の中に描かれるような人間になりたいと考えていたことが読み取れます。童話のような物語性やおもしろさはありませんが、賢治の心の声に耳を傾けてみるのもいいでしょう。

スポンサードリンク

この記事のまとめ


ここでは宮沢賢治がどんな人だったのかを、年表や有名な作品にも触れながら小学生の方にもわかるようにご紹介しました。現在の岩手県で生まれた宮沢賢治は農業指導をする傍ら、文学活動を続けた純粋な青年でした。その作品の多くは賢治が亡くなった後に世の中に発表され、有名になっています。

宮沢賢治の代表作は「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」「雨ニモマケズ」です。これらの作品は学校の教科書に取り上げられることも多く、また本以外のメディアにも多く取り上げられています。賢治の作品は心を豊かにしてくれるものが多いので、読書感想文の題材に選ぶのもオススメです。

※参照:読書感想文の題材には歴史人物がおすすめ!本を5冊紹介!