282187 「下克上」と呼ばれる実力主義の世界の中で、日々戦いに明け暮れていた戦国武将。しかし彼らとて一人の人間ですから、面白いエピソードがかなり多く残されています。今回は、こうした戦国武将の面白いエピソードを、管理人の独断と偏見で5つ選んでご紹介します。

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福島正則、名槍・日本号を奪われる


福島正則といえば、豊臣秀吉子飼いの武将で、賤ヶ岳の七本槍の中でも一番槍として勇名を馳せた武将です。

あるとき、黒田家家臣の母里太兵衛が使者として福島正則を訪ねてきました。
酒豪で知られた母里太兵衛を前に、正則は巨大な盃で酒を勧めます。
しかし、使者である太兵衛は役目柄酒を飲むことができません。

正則は「飲めないのは、黒田の武士は酔ったら働けないからだろう」「見事呑み干せたなら何でも望みのものを与えよう」と挑発します。主家が辱められたと解釈した太兵衛は、一気に酒を飲み干しました。そしてその上で、正則の家宝である名槍・日本号を所望したのです。

福島正則は、武士に二言はないと槍を与えましたが、大事な家宝を呑み取られてしまうとは案外マヌケな話ですよね。

※参照:福島正則と加藤清正の違いについて5点ほどまとめてみた

細川忠興、妻・ガラシャへの異常な愛情


足利将軍家、信長、秀吉、家康と仕えた細川忠興
教養人・茶人としても有名で、利休七哲の一人でもあった忠興が、なんとガラシャ夫人に対してめちゃめちゃヤキモチ焼きだったという話です。

各地へ出陣した折も、男(とくに秀吉)の誘惑に気をつけろと手紙を送ったり、植木職人が枝から落ちたら「おまえ俺の妻に見惚れただろう」と因縁をつけて手討にしたりしています。
当代きってのインテリ武将が、これだけ妻に首ったけというのは、なんだか剽軽な感じがしてしまいますね。

ただ、この細川ガラシャさん、最後は関ヶ原の戦いを前に西軍に人質に囚われそうになり、忠興の言いつけどおり自害して果てます。このとき家臣が介錯するのですが、同室ではまずいということで部屋の外から槍で突いたとも言われています。

※参照:細川ガラシャの夫は束縛系!?2人の関係や子孫はいるの?

山内一豊、他人のアイデアで土佐20万石をゲット!


土佐の山内家といえば、幕末の山内容堂が有名…というより坂本龍馬の藩の殿さまといったほうが分りやすいかもしれませんね。
その藩祖は、信長・秀吉そして家康に仕えた山内一豊で、土佐入封前は掛川6万石の領主でした。

一豊には、千代と言う名のよくできた妻女がいたことでも有名ですが、彼は関ヶ原前夜に諸将の前で徳川につく!と宣言したことでも土佐一国の国主となります。
その舞台が、いわゆる小山会議です。

会議前、一豊は友人である堀尾茂助の子・堀尾忠氏と善後策について相談しています。
忠氏は、徳川に味方することを宣言し、一気に徳川支持の機運を高める秘策を語ります。  

うんうん、と聞いていた一豊。
なんとその後の小山会議でその策を先んじて実行してしまうのです。

家康は一豊の心意気に打たれ、土佐20万石をもってこれに報いました。なんだか話を聞くだけで唖然とする忠氏と、ドヤ顔の一豊が浮かんでくるようです。

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伊達政宗、茶器に怯えちゃダメだ!


部下たちに、まるでユニフォームのように派手な戦装束を身につけさせたり、秀吉に呼ばれ遅参した折には死装束であらわれたりと何かと派手なパフォーマーの伊達政宗
伊達男という言葉を一般名詞にしてしまうほどのインパクトだったようですが、そんな彼が茶器に怯えてしまったことがありました。

政宗が家臣に家宝の茶器を見せようとした時のこと。
うっかり手を滑らして茶器を落としそうになります。
幸い落とさずに済んで家臣がホッとしていると、直後に政宗は茶器を叩き割ってしまったというのです。

その理由は、戦場でも臆したことはないのに茶器に臆した自分が許せない!だったそうです。
プライドめっちゃ高いのは分かるけど、なんだか笑えるエピソードですよね。

※参照:伊達政宗の凄さって何だったの?過大評価の真相に迫る!

加藤嘉明、昨日の敵は生涯の友


加藤嘉明といえば、秀吉配下の武将で賤ヶ岳の七本槍の一人です。
その後、朝鮮出兵では水陸両用軍のような活躍をみせました。

嘉明のライバルだったのが、もと浅井長政の家臣で主君を転々と変えていた藤堂高虎です。
嘉明と高虎は、常にライバル関係にあるため仲は悪かったそうです。

寛永4年(1627年)に会津の蒲生家が御家騒動により減封・領地換えとなったとき、次の会津藩主に徳川家光に請われた藤堂高虎は自分の代わりに嘉明を推挙します。
高虎は、日頃の不仲は私事で会津の件は国事であると述べたそうです。これに感激した加藤嘉明は、以後藤堂高虎とは無二の親友になったのだとか。

これ、一見美談なのですが、直前まで「藤堂高虎、絶対許さねえー!」と思っていた嘉明が、「え、そうなの?なんだよお前ホントはいい奴なんだな!」とニタニタ笑って仲良しになってしまうあたり、嘉明という人間の可笑しみをも語るエピソードじゃないかと思うのです。

※参照:加藤嘉明が秀吉に仕えた時期は?加藤清正や藤堂高虎との関係も解説!

この記事のまとめ


今回は、戦国武将の面白いエピソードということで、5つのお話を紹介しました。

現代のような画一的な教育もなかったこの時代、本当に個性豊かな武将たちがそれぞれの正義やユーモアをまとって生きていたことが感じられますよね。こうした面白いエピソードを探してみるのも、歴史を知る一つの醍醐味なんだろうと思います。

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