日本国民にとって、最早、年末の恒例イベントである紅白歌合戦

今や、その存在が当たり前のようになっいる番組ですね。
ですがそもそも何故、紅白歌合戦を年末に行うことになったのでしょう?

今回は、紅白歌合戦の起源に始まり、その現代に至るまでの歴史を紐解いてみたいと思います。
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紅白歌合戦の起源はどのようなものだったのか?


日本の長寿番組の一つでもある紅白歌合戦
その起源は古く、初回はなんと1951年。
それ以来、NHKが紅白歌合戦の放送を毎年放送し続けています。

実は、この「紅白歌合戦」という番組には、それ以前まで放送されていた「紅白音楽試合」という番組が存在します。その前身番組の放送は、1945年12月31日の事でした。
当時、同じ内容の番組を繰り返し放送するという概念はなかったそうなのですが、この「紅白音楽試合」という番組の反響があまりにも大きかったため、1951年に再び「紅白音楽試合」の流れを引き継いだ番組を放送することにしたそうです。

しかし、なぜ番組タイトルが「紅白歌合戦」なのでしょうか。その名前の由来は、あまりに古く、正確なことは分からないそうですが、通説として残っているものがあります。

発案者は、当時のディレクターであった近藤積さん。近藤さんが学生時代に精を出していた剣道からアイディアを得たという説が有力なのだそうです。
ただし、「紅白」に分かれて競い合いというのは、剣道だけではありません。

蛇足にはなりますが、この「紅白」というのは、もっと古いルーツを持ちます。
それは、あの「源平合戦」の時代。
源氏は「白旗」を、そして、平家は「赤旗」を用いていたことから、二組に分かれて競い合う場合の伝統的な組み分けなのだそうです。

※参照:平清盛と源頼朝の違いや性格を比較。もしも戦いがあったら?

更に、歌を用いた競い合いという意味では、その起源はもっと古く、八世紀頃にまで遡ります。
東大寺での大仏開眼の供養として、楽曲や歌唱の大祭典が行われました。その際、歌や楽曲の秀逸さを深夜に競い合ったというのです。

何気なく「紅白歌合戦」と言われていますが、その起源や由来を紐解いてみると、日本の歴史や伝統が継承されていることが窺えます。

紅白歌合戦の歴史について(1980年代頃まで)


日本の長寿番組の一つであり、最早、年末の恒例ともなっている紅白歌合戦。
その歴史は、初回放送の1951年にまで遡ることができます。

ただ、この放送ですが、実は今のようにテレビ放送ではありませんでした。
元々この番組は、ラジオ番組として放送が開始されたのです。
また、1951年放送の「紅白歌合戦」は、今のような大晦日ではなく、正月番組として1月3日に放送されました。その後、第四回目としてのテレビ放送を期に、大晦日の放送に移行したのです。

また、当時の日本では、紅白歌合戦のような歌番組などが無かったため、そのため紅白は国民の楽しみとして大人気番組になりました。しかしその後、民放でも歌番組が始まり、NHKの紅白歌合戦は危機に晒される事になるのです。

しかし、そこはNHK。出演アーティストの人数を増やしたり、「応援隊」などの演出を増やすことで、他とは一線を画す番組の地位を不動とします。また、1957年までの紅白歌合戦で出場していたのはソロの歌手のみだったのですが、翌年からグループの歌手の出場が認められるなど、今では驚きを感じる決まりも見られます。

また、1959年のザ・ピーナッツや1961年の坂本九をはじめとした、当時一世を風靡していたアイドルやアーティストなどの出演も増加し始めます。70年代になるとニューミュージックやフォーク、ロック歌手の出場も増加しました。他にも東京五輪を意識した演出や、当時では珍しい海外中継など、あらゆる手法を用いて視聴者を楽しませてきました。1969年に『日本レコード大賞』が始まると、出演歌手が『レコ大→紅白』へ移動する場面も見られるようになります。

その結果、1970年代〜80年代の紅白は70%を超える視聴率を誇り、国民番組へとなっていきます。ただし歌詞の間違い(1973年のかぐや姫)や表現規制(1978年の山口百恵)といった面も、人気番組の宿命ゆえか一部存在しています。

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紅白歌合戦の歴史について(1990年代以降)


90年代に入り、いわゆる元号は平成になります。
平成時代の幕開けに相応しく、紅白歌合戦は更に新たな試みを始めました。

例えば海外アーティストの出演の増加。これは1985年のテレサ・テン等の例も存在しますが、90年代になるとシンディ・ローパーやポール・サイモン、2000年代にはBOAやリア・ディゾン、女子十二楽坊やスーザン・ボイル、クリス・ハート等、様々な海外出身アーティストが紅白に登場するようになります。
昨今では、特別珍しいことではありませんが、当時の日本で海外のアーティストを呼べる歌番組というのは、とても貴重でした。

また、その演出手法も次代の流れと共に変革されていきます。たとえば、その一年で話題になったドラマや映画にまつわる楽曲を披露してみたり、2011年以降は震災などの復興を応援する企画が行われるなど、明確なテーマを感じられる番組制作が行われるようになりました。

2000年代後半からは演歌歌手の出場が徐々に減少し、松田聖子やDREAMS COME TRUE、SMAPや嵐などポップス歌手の登場がより増えていきます。他にも声優の水樹奈々の出演や映画「アナと雪の女王」や「妖怪ウォッチ」とのコラボ企画など、日本が誇るポップカルチャーとの企画も増加するようになりました。

しかしながら、昭和と平成という時代の移り変わりや歴史も感じられる演出方法を取ることで、親子など世代の違う方々の両方が楽しめるという「紅白歌合戦」ならではの醍醐味は依然として変わらず存在します。

「紅白歌合戦」を観ることで、その年一年間を振り返る。また、現代と過去の歴史を比べてみたり、懐かしさや新鮮さを理解する。そんな番組になっていたような気がします。

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この記事のまとめ


このページでは紅白歌合戦の起源やその歴史を、簡単かつわかりやすくご紹介しました。

日本国民が、当たり前のように知っている紅白歌合戦。
その歴史を紐解いてみれば、たかが歌番組と侮れません。

更に言えば、「紅白歌合戦」の歴史を振り返ることは、ある意味で日本の昭和時代や平成時代の歴史を振り返ることにも繋がります。この番組の起源や歴史を改めて理解したうえで、年末の放送を待ってみるのもいいかもしれませんね。


なお、以下の記事では翌日のお正月の歴史について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:日本のお正月の起源や歴史について解説。信長と秀吉の逸話とは?