日本で最も重要と言っても過言でない年中行事と言えば、お正月ですよね。
しかし、この「お正月」の事をちゃんと知っている方は、決して多くはないかもしれません。
そもそも、お正月の起源とは一体何なのでしょうか?
そで今回は、日本のお正月の歴史について解説します。
また、織田信長と豊臣秀吉のお正月に関する逸話もご紹介!
日本のお正月の起源は?ご先祖様を祀る行事だった?
まずは日本のお正月の起源についてご紹介します。
日本に残される行事の中で、取り分けお正月の歴史は古く、かなり昔からありました。どれくらい古いかといえば、仏教が伝来した六世紀半ばには存在していたそうです。ただ、あまりに古い歴史のため、残念ながら正確な起源は未だ解明されていません。
かつてのお正月は、祖先に感謝をし、先祖の霊を祀るという習慣もあったそうです。今でいう、お盆やお彼岸みたいな感じでしょうか。しかし仏教が日本に入ってくると、お盆やお彼岸が仏教の行事になったのに対し、お正月は五穀を守る神様である歳神様を迎え、その年の豊作を祈る月へと変化していきました。正月に家に門松や鏡餅をかざるのは、この歳神様を迎えるための準備なのです。
ちなみに、「明けましておめでとうございます」という言葉は、実は年神様をお迎えするための祝詞だったといわれているのです。また、大掃除をして綺麗にし、門松を玄関に飾るという習慣は、実は年神様を歓迎するためのものでした。つまり、現代の私たちも知らず知らずのうちに、年神様への感謝とお迎えしてお祀りする儀式をしているわけですね。
また、最近では下火になりつつある年賀状の起源ですが、少なくとも平安時代の後期には似たようなものが存在していました。藤原明衡という人物が書いた「往来物」という手紙の文例を集めた書物には、年明けの挨拶の事例がいくつか掲載されています。少なくとも、当時の上流階級の間では文章を使って年始に挨拶を行う習慣があったのだと思われます。
おせち料理の起源にいても触れておきましょう。この料理の起源は、平安時代後期に食べられていた「御節供」(おせちく)という料理にさかのぼります。ただ、この料理はあくまで沢山盛られたご飯であり、現在のおせち料理とは全く違ったものだったと言われています。
日本の正月の歴史について様々な角度から解説!
お正月と言えば、門松や鏡餅を飾ることをイメージされる方もいると思います。
ですが、お正月でこうしたものが飾られるようになったのは江戸時代の頃でした。この時代になると、一般庶民でも門松や鏡餅を手軽に入手できるようになったので、このような慣習が定着したのです。
その一方で、平安時代の後期には、お正月の時期に家の前に松を飾る習慣が成立していたと言われています。これが鎌倉時代になると、京の都の元旦の都大路には多くの門松が連なり、華やかな様子であったと「徒然草」の作者、吉田兼好は記しています。少なくともこの頃には、新年を皆でお祝いする風習は成立していたのでしょう。
年賀状に関しても、中世から近世を通して飛脚が発達すると共に送られる頻度が増えていったと考えられています。江戸時代の中頃には、江戸の街の書状を配達する「町飛脚」という職業も誕生しました。この頃になると、庶民が年賀状のようなもの、つまり新年の挨拶を手紙に載せて送り合っていたと考える事ができます。
また、おせち料理が幅広く食べられるようになったのも江戸時代です。元は朝廷内で食べられていた料理を大衆が取り入れたのが始まりと言われ、やがて1年の中で最も重要なお正月に食べる料理へと発展させていったと伝わっています。ちなみに当時の人々はこの料理を「食積、くいつみ」「蓬莱、ほうらい」と呼んでいました。「おせち料理」という名称が使われるようになったのは、戦後だと言われています。
お正月にまつわる、信長と秀吉の逸話とは?
また、日本のお正月に関する歴史人物の逸話も幾つか残されています。
たとえば、織田信長と豊臣秀吉の性格を表す正月のエピソード。
織田家に仕える諸将が揃う正月を祝う席で、あろうことか、信長の前に運ばれてきた料理に、箸が一本しか置かれていなかったのです。配膳係の致命的なミスに、怒り心頭となる信長。正月を祝う雰囲気が、一瞬で冷え固まります。
そんな雰囲気の中、末席にいた秀吉が、
「これは粋なこと。片箸で膳を平らげる。
それすなわち、殿が片っ端から諸国を平らげると示唆しておるのでしょうな。
正月ならではの、めでたい例えにございましょう」
こう言って、上手く場を取りなしたという逸話があります。
確かに、正月に食べる「おせち料理」の食材なども、験を担いだ縁起が良いものを集めています。例えば、鯛の「めでたい」や昆布巻きの「よろこぶ」、海老の「腰が曲がるまで長生き」数の子の「子孫繁栄」などが有名です。
そういう意味でも、言葉や現象、状態など、昔から正月にはその年の無事と繁栄を願って、験を担いでいたのかもしれませんね。
※参照:織田信長の性格の長所と短所とは?数々のエピソードを解説!
この記事のまとめ
このページでは日本のお正月の歴史について、その起源や信長と秀吉の逸話にも触れながらご紹介しました。
元は歳神様を迎えてその年の豊作を祈る行事だったのが、貴族そして庶民へと広まっていったのですね。並行して鏡餅や門松、年賀状やおせち料理といった文化も次々と産まれています。
最近では若い層を中心に年賀状がメールやLINEに取って代わられる事も増えてきましたが、新しい年を迎え、良い年になるように年神様や自然、祖先や周りの人々に感謝をする。その本質は、変わらず引き継がれています。
日本の「正月」の歴史を知ることで、また改めて自分なりの「正月」を迎えてみるのもいいかもしれませんよ。
正月の1月1日は旧年から新年への移ろうとても大切な日です。青くて美しい地球に活かされているの人間としての身ですから、感謝の証として昔からの風習にならって、真心から新年をお祝いしなければならないのです。
現状は過度な経済活動によりデパート、スーパーなど従業員の一部には、元旦から働く事をよぎなくされいます。三が日は最も大切な昔からの風習ですから、せめて一月一日は全国一斉に休日にして国民全体で新年を祝うべきです。