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戦後日本の人物の中で、今なお絶大な人気を誇る田中角栄
テレビや書店でも角栄は定期的に取り上げられており、政治家としての再評価も進んでいるようですが、この田中角栄という人物の魅力は一体何だったのでしょうか。

このページでは、田中角栄の学歴や実際の学力について、彼が天才と呼ばれる理由を含めて考えてみたいと思います。
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田中角栄の学歴は?小卒と言われる理由は?


田中角栄と言えば、高等小学校卒業の学歴ながら総理大臣になった凄い人と語られる事も珍しくありませんが、本当に小学生を卒業しただけで首相になれたのでしょうか。

角栄の学歴を年表から抜き出すと、こうなります。


・1933年(15歳)
二田高等小学校を卒業

・1936年(16歳)
上京、中央工学校(夜間)に入学
工業関係の会社に住み込みで働く

・1937年(19歳)
中央工学校卒業


年表を見てみると、角栄の学歴は高等小学校卒業ないし中央工学校卒業と考えられます。
実はこの「高等小学校」というのがややこしく、今で言うところの中学校だと考えた方がいいと言えます。


角栄の時代(1907年〜1941年)の学制は以下のようになっています。

・尋常小学校:6年(6〜7歳から入学)
・高等小学校:2年(14〜15歳で修了)


高等小学校を卒業後、角栄は中央工学校を卒業していますが、これは今で言うところの工業高校に相当するものとと考えてもいい思います。つまり角栄の学歴を今風に言うと、工業高校卒業と考えた方がいいのかもしれません。その一方で、当時の中央工学校は学制上の学校ではなかった事を踏まえると、制度上は中卒と考えてもいいと思います。


肝心の角栄自身は、自らの最終学歴を「中央工学校卒業」と名乗ることが多かった一方で、大蔵大臣就任時のあいさつでは「私が田中角栄だ。ご承知の通り小学校高等科卒だ」といった発言もしています。この発言から「角栄=小学校卒業」と言う表現が定着したと言われています。

戦後の歴代首相やまわりの政治家に大卒者が多かった事を逆手に取った、角栄なりのアピール手法だと言えそうですね。少なくとも、戦後政治家の多くが大卒者であった事を考えると、角栄がいかに異色の存在であるかが分かると思います。

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田中角栄の実際の学力はどうだったの?


その一方で、田中角栄の学力は極めて高かったと言われています。

田中角栄の政治家の業績の1つに、100本以上の議員立法を手がけたという事が挙げられます。
議員立法とは、国会議員が自ら法律の条文案を作成し国会に提出する事で、省庁の官僚が条文案を作成して、内閣として立法を行う閣法に対して言われる言葉です。

この議員立法ですが、実はかなりの知識量・作業量・折衝力を要求される根気のいる仕事なのです。しかし、角栄は政治家の務めを果たしながらも1日4時間以上の勉強をしていたと言われており、その成果が提出した議員立法に表れていると言えます。


また、角栄は1938年に徴兵され、中国の満州で兵士として活動しているのですが、その際、部隊内の事務処理などでその学力が認められ、兵士となったわずか1年で騎兵上等兵になったという逸話も残っています。

角栄の学力を物語る逸話は他にも色々あり、小学校の成績表は今で言うところのオール5であるとか、国語辞典や英和辞典を片っ端から暗記していたとか、あるいは官僚や同僚の国会議員の誕生日や家族構成を全て暗記しており、彼らの妻の誕生日にはプレゼントを贈っていたというエピソードも残っています。

こうした角栄の学力、そして人に対する気配りを考えると「コンピューター付きブルドーザー」というあだ名で呼ばれていたのもわかる気がします。

田中角栄が「天才」と呼ばれる理由とは?


こうしたエピソードから、田中角栄は「天才」と呼ばれています。

2016年、東京都知事を務めた石原慎太郎がこの言葉をタイトルにした本を出版しましたが、田中角栄が天才と呼ばれる理由についてもう少し詳しく見ていきましょう。


田中角栄の政治家としての凄さの1つに、官僚を使いこなす事が出来たという点が挙げられます。角栄は持ち前の知識や行動力によって彼らを掌握し、建設省(今の国土交通省)をはじめ、郵政省(今の総務省)や通商産業省(今の経済産業省)に大きな影響力を持っていました。
郵政大臣時代には、省内の風紀が派閥争いによって乱れていた事を突き止めると、それぞれの派閥のトップを左遷して問題を解決した事もありました。


また、田中角栄の業績の1つに日中国交正常化が挙げられますが、これはアメリカよりも先に国交正常化を成し遂げており、当時の冷戦下では異例だったと言えます。また、当時は石原慎太郎氏など中国との国交を結ぶ事への反対派も少なくなく、角栄自身、暗殺される事も考えていたとされ、こうした面も彼を天才政治家と称する一因になっているのではと思います。


他には、田中角栄にはお金にまつわるエピソードが多くありますが、どんな場合でもお金を渡す相手のことを気遣っていた面があります。
角栄を支持していた保利茂という政治家は支持する理由を聞かれた際「老婆心」という言葉を挙げており、言葉の意味を問われた際「寒い冬にこたつで居眠りをしている孫に、風邪をひかないようにと自分の羽織をかけてやる心だ」と説明しています。

私は、これこそが角栄の魅力の最たるものだったのではないかと思います。彼は、経済的に苦しかった生い立ちから、自然にこの老婆心を備えたのでしょう。貧乏を知る宰相だという点も含めて、田中角栄を稀代の天才政治家と言ってよいと考えます。

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この記事のまとめ


田中角栄の学歴や実際の学力について、「天才」と呼ばれる理由を含めながらご紹介しました。

「高等小学校卒」と学歴が紹介される角栄ですが、その学力は非常に高く、100本以上の議員立法に関与しています。また、官僚を使いこなすだけの知識と行動力、そして相手を慮る老婆心などが、角栄を天才政治家と言える理由になるのではないでしょうか。


なお、以下の記事では田中角栄の年表や石原慎太郎との関係について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:田中角栄ってどんな人?年表や石原慎太郎との関係を解説!