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和歌や短歌をよむ人を歌人と言います。
日本の歴史には、こうした歌人が多く登場しますね。

こうした歌人の中で、明治から昭和にかけて活躍した人物と言えば与謝野晶子(よさのあきこ)の名前が思い付く方もいると思います。

与謝野晶子とはどんな人物だったのでしょうか。
年表や代表作も一緒に見て行きましょう!
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与謝野晶子ってどんな人?小学生向けにわかりやすく解説!


まずは与謝野晶子はどんな人だったのかを、小学生の方にもわかるようにご紹介します。

与謝野晶子は本名を志よう(しょう)と言います。与謝野晶子の「晶子」という名前は、本名の志ようの読みから「」という字を使ったと言われています。

明治11年に大坂の和菓子屋で生まれた晶子は、学校に通うようになると源氏物語などの日本の古い文学を学ぶようになります。また、兄の影響で、尾崎紅葉(おざきこうよう)や樋口一葉(ひぐちいちよう)と言った、当時の小説にも関心を持ち始めました。

20歳ごろには、家の手伝いをしながら和歌を投稿するようになり、大阪で開かれた和歌の会でのちに夫となる与謝野鉄幹(よさのてっかん)と出会います。1901年に2人は結婚し、また同じ年に代表作である「みだれ髪」を出版しています。

その後も多くの短歌を残しただけではなく、平安時代に紫式部が書いた源氏物語の現代語訳や女性の教育に力をつくすなど、1940年になくなるまでとても活動的な日々を送りました。教育にも関心を持っており、日本で最初の男女共学校である文化学院をつくった事でも知られています。

※参照:恋を詠んだ和歌で有名な作品を5つまとめてみた。

小学生でもわかる!与謝野晶子の年表


続いて、与謝野晶子の年表を小学生の方にもわかるようにまとめてみました。


・1878年(0歳)
大阪の和菓子屋の娘として生まれる。

・1900年(22歳)
大阪の和歌の会でのちの夫、与謝野鉄幹(よさのてっかん)と出会う。
雑誌「明星(みょうじょう)」に和歌を発表する。

・1901年(23歳)
与謝野鉄幹と結婚する。
歌集「みだれ髪」を発表する。

・1904年(26歳)
日露戦争が始まる。
雑誌「明星」で詩「君しにたまふことなかれ」を発表する。

・1912年(34歳)
夫、与謝野鉄幹を追ってフランスのパリへ行く。
読売新聞が与謝野晶子のパリ行きを取り上げるなど、世の中で話題になる。

・1921年(43歳)
与謝野鉄幹らと共に、日本初の男女共学の学校である文化学院をつくる。

・1935年(57歳)
与謝野鉄幹がなくなる。

・1938年(60歳)
源氏物語を現代語訳した「新訳源氏物語」を発表する。

・1942年(満63歳)
脳溢血(のういっけつ:脳内で出血する病気)で亡くなる。

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年表を見てみると、大阪から東京へ移り住んだり、夫を追いかけてパリに行ったりと、とても活動的だったことがよく分かりますね。

与謝野晶子の人生は短歌や詩といった文学が中心に見えますが、実は作品の中には、夫への思いや弟への思いといった、恋愛や家族愛を見ることができます。子供が12人いた事からも、与謝野晶子は家族をとても大事にする人だったのかもしれませんね。

与謝野晶子の代表作を3つ解説します。


最後に、与謝野晶子の代表作を3つ見てみましょう。

まずは、与謝野晶子が初めて出した歌集「みだれ髪」です。明治時代は、女性が恋愛について語ることが考えられない時代だったので、自分の恋愛を短歌にして発表したこの「みだれ髪」は社会に大きなショックを与えました。賛成も反対も、多くの意見が出てきましたが、世間では受け入れられ、与謝野晶子が情熱的な歌人であるというイメージを付けた作品でもあります。

2つめは詩「君しにたまふことなかれ」です。このタイトルを今の日本語にしてみると、「あなたが死ぬ必要はないのだ」となります。これは、日露戦争が始まったときに書かれた詩で、戦争に兵士として参加する弟を思って書いた詩だと言われています。国のために、と戦争に参加する人が多かった日本で、与謝野晶子ははっきりと戦争に反対していたんですね。

3つめは「新訳源氏物語」です。これは平安時代に書かれた、紫式部(むらさきしきぶ)の源氏物語を昭和当時の言葉にしたもので、古文が読めない人でも読みやすくしたものです。源氏物語は与謝野晶子が強く影響を受けた物語であり、幼いころから古い文学に親しんでいた与謝野晶子だからこそできた本だとも言えます。

※参照:紫式部ってどんな人?年表や源氏物語を小学生向けに解説!

この記事のまとめ


与謝野晶子がどんな人だったのかを、年表や代表作と共に小学生の方にもわかるようにご紹介しました。

与謝野晶子の作品は、恋愛や女性の自立に関するものと、戦争や政治に関するものの2つに分かれています。晶子は「女性は男性や国に依存しちゃいけない!」と主張して、当時の人々に女性の自立を考えさせるキッカケを与えた事で知られています。

ちなみに晶子は数学(算数)が得意で、女性も算数や理科を勉強するべきだと考えていました。今でいうキャリアウーマンやリケジョに当たる女性だったのかもしれませんね。

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