徳川家康と言えば、「狸親父」というあだ名で呼ばれる事がありますが、この「狸親父」にはどのような意味や語源があるのでしょうか?
家康が「狸親父」である事を示すエピソードも気になる所ですね。

また、そもそも「たぬき」という言葉にはどのような意味があるのかについても考えてみたいと思います!

スポンサードリンク

徳川家康のあだ名「狸親父」の意味って?


徳川家康といえば、教科書の写真などからなんとなく“たぬき”というイメージありませんか?
でも見た目だけでなく、家康が「狸親父」というあだ名で呼ばれる所以は、もっと別にあったんです。

狸とは昔から人を化かすと言われており、そこから表面は善人でも、考えや行動がずる賢く狡猾な人のことを狸と呼ぶようになった経緯があります。そう言われてみれば、見た目だけではなくこのあだ名には家康の人柄も関係してきそうですよね…

家康は幼少期を今川家や織田家の人質として過ごしました。
幼い頃から周りの大人の顔色を窺いながら生きてきたのかもしれません。

※参照:今川義元が家康に施した「むごい教育」のエピソードの真相とは?


そうした環境が、本性とは裏腹の彼の外面の良さを育て上げたと考えれば至極納得がいきます。


また、家康が三河国一向一揆を平定した際、その際の和議の条件として一揆が起こった土地の寺院や道場はもとのまましておくというものがありました。
OK!と二つ返事でこれを快諾した家康でしたが、なぜか寺院や道場を取り壊します。
もちろん話が違うと一揆側は怒りますよね。

その時に家康は「壊さないとは言ってない!もとのままにするって約束だったからもとの野原に戻してるんだよ!」と平然と言ってのけたという話があります。


腹黒いというか何というか…嫌なヤツ…
「汚いぞー!!」という一揆側の声が聞こえてきそうですね…
若い頃の家康は実直で血気盛んな武将だったと言われていますが、この頃からちょいちょいこんなエピソードがあったそうなのでやはり元々たぬきな人間であったことは明白ですね!

ちなみに、ころんとたぬきのように丸いフォルムのおじさまやメタボ腹を抱えた中年のおじさまで、尚且つ腹黒くてずる賢い人を「狸親父」というあだ名で呼んだりします。
もちろん良い意味ではなく、そういった人を罵る時などに用いられます。

晩年の徳川家康は肥満体であったと言われているので、それにこのずる賢さが合わさるとまさに狸親父そのものですね!

家康のあだ名を狸親父に決定づけた方広寺鐘銘事件


かの徳川家康をさんざん「狸親父」呼ばわりしていますが、ここでさらに家康を狸親父だと言わざるを得なくなるようなエピソードをご紹介したいと思います!

関ヶ原の合戦で豊臣側の石田三成に勝利した徳川家康でしたが、豊臣家の政権は故・秀吉の側室・淀殿とその息子の秀頼にありました。
淀殿や秀頼はさておき、まず最初に家康が1番恐れていたのが豊臣家の財産!
豊臣家に代わって徳川家が天下統一の実権を握るには、この財産が邪魔だと考えた家康はこれを豊臣家地震で使わせてなくしてしまえ!とあることを画策します。

当時、秀頼と淀殿は戦や天災で荒れ放題だった寺院などを再興して回っていたのですが、その一つが秀吉の安泰を祈願した方広寺でした。
ここも直した方がいいよ~と家康に勧められて秀頼は修復の工事を始めます。
しかし完成間際になってその中の鐘に刻まれた「国家安康」という文字が家康の名を分断して豊臣家を讃えていると、家康がイチャモンをつけたのです…

焦った豊臣家は謝罪するため家臣の片桐且元を徳川家に送りますが「許して欲しければ淀殿か秀頼を人質として差し出せ!」と追い返されてしまいます。
さらに淀殿の乳母で大坂城の奥を牛耳っていた大蔵卿局も謝罪に向かいます。

※参照:大蔵卿局とは?茶々(淀殿)との関係や大坂の陣での交渉について

でも今度は「そんなこと気にしてないよ!それより我が孫(秀頼の妻は家康の孫)は元気か?」と大蔵卿局を手厚く歓迎するのです。大蔵卿局はホッと胸を撫で下ろして大坂へ帰るのですが、なんと先に謝罪に言っていた片桐且元と話がまるで違う・・・
淀殿は絶大なる信頼を寄せていた大蔵卿局の言い分を信じて、「主を売ってまで家康に媚びへつらって出世しようとするなんてとんでもない裏切り者だ!」と且元を追放…

しかし家康はこれを待ってましたとばかりに「ちょっと!許して欲しかったら人質差し出してって言っておいたのに何でよこさないの?!」とこともあろうに大坂城に攻め入るのです!

これが大坂・冬の陣です。

なんてお人だ…
あんた気にしてないって言ったじゃないの?!と大蔵卿局は思ったに違いありません。

真田幸村の活躍で何とか凌ぐものの関ヶ原の合戦の後で豊臣側はとにかく迎え撃てる状況ではないので、常高院(淀殿の妹)と大蔵卿局が和平を求めて家康の元を訪れます。
大蔵卿局が自らの孫を差し出して「淀殿と秀頼様は渡せませんが、こちらで手を打ってはもらえないだろうか」と交渉すると、一旦は家康も「大坂城の外堀を埋めてくれたら、秀頼の命は助けるよ」と了承するのですが、その約束を破る形で内堀まで埋めてしまいます・・・。

こうして大坂・夏の陣が開戦します。


そもそも家康の目的は豊臣家を完全に滅亡させること。豊臣家の財産はなくなっても、予想外に立派に成長してしまった秀頼がいてはそれは叶いそうにありません。
なので家康は「いやいや、秀頼は殺さないと言ったけど戦わないとは言ってないし」と大坂城を再び総攻撃。
堀を埋めてしまわれていた大坂城はなすすべなく落城…

最期の足掻き空しく淀殿・秀頼親子、大蔵卿局が自害して大坂の陣は幕を閉じました。
「約束通り秀頼は殺してはないよ!だって自害でしょ?」と家康が高笑いしている様が想像できるような…

のちに狸親父と呼ばれる原因がよく分かったような気がしますね。

スポンサードリンク

現代でも人に対して使われる「たぬき」という言葉の意味


ここで家康から少し話を変えます。
そもそも、狸親父という言葉に含まれる「たぬき」という動物には、どのような意味があるのでしょうか?

たぬきといえば…
あの茶色くてしっぽがころんとまあるくて、何だかおとぼけたイメージがある有名な動物!
実は昔から、たぬきは人を化かすと信じられていました。

見た目の可愛さを使って人を化かしたり騙したりすることから、現代では優しい顔をして裏で腹黒いことをするような人間のことをたぬきと呼んでいます。
使い方としては「あの人本当にたぬきだよね!」などと言ったりします。

一方、同じ化かし合いでは引けをとらないであろう動物がもう一種類。
よく妖怪などおどろおどろしいお話などに登場するきつねです。
九尾の狐などはいろんなアニメにも使われていますので、そういうイメージを持たれている方もいらっしゃると思います。
こちらは何というかスマートで狡猾なイメージではないですか?
またお稲荷さんなど神様の遣いとして扱われることもありますよね。
そこから派生して巧妙かつ緻密に人を騙して陥れるような人のことを、たぬきと対峙させてきつねと呼ぶことがあるのです。

現代でいうならば…
たぬきが少々いたずら心を孕んで本性を隠して騙すというイメージだとしたら、きつねは巧妙で陰険な騙し方をするというイメージでしょうか。
またたぬきは人を馬鹿にするために、そしてきつねは人を誘惑するために化けると違いを提唱している説もあります。

スポンサードリンク

この記事のまとめ


徳川家康は見た目も中身も、あだ名として知られる「狸親父」の極み。
それには彼の境遇が関係していたのかもしれません。

そして、大坂の陣の発端である方広寺鐘銘事件も家康の画策だったのです!
そこから大坂の陣終結まで、家康の狸親父っぷりが満載…
相手に良い顔しながら自分の思惑も完遂させる恐ろしき武将です。

そして「たぬき」という言葉ですが、「優しい顔をして裏で腹黒いことをするような人間のこと」を指す言葉として使われることもあります。あなたの周りで優しい顔をして案外腹黒く、裏でとんでもないことを画策している人がいたらそれが「たぬき」です!
おまけにその方がメタボチックな体型であったのならば、家康も顔負けの“狸親父”にレベルアップですね(笑)

天下統一を完成させ、その後江戸幕府を開いて徳川300年の歴史を作り上げた徳川家康。
その成功の裏には腹黒い策士としての家康の本性が見え隠れしていました。
こうした家康の思慮深さ(?)は、徳川家の家紋「葵紋」の権威付けにも表れている気がします。
以下の記事で詳しくご紹介しているので、興味があればご覧になってみて下さいね。

※参照:徳川家康の家紋「葵紋」の意味とその由来とは?