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日本の歴史人物の中で「先生」といえば、吉田松陰の事が真っ先に思い浮かびます。

松陰は松下村塾という学校の先生として、幕末や明治時代で活躍することになる多くの人を育てました。

吉田松陰とは一体どんな人だったのでしょうか。年表を使ってご紹介すると共に、松下村塾についても小学生の方にもわかるようにまとめてみました。
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吉田松陰ってどんな人?小学生にもわかるように解説!


まずは吉田松陰がどんな人だったのかを、小学生の方にもわかるようにご紹介します。

吉田松陰は長州藩(現在の山口県)の武士の家に生まれました。
本名は寅次郎(とらじろう)と言い、松陰とは1851年頃から名乗った名前です。

松陰は子供のころから頭がいいことで有名でした。5歳になる頃には、叔父の玉木文之進(たまきぶんのしん)が教育を行っていた松下村塾で学び始め、9歳になる頃には長州藩の学校の先生になるほど、幼い頃から賢いことで知られていました。

吉田松陰が生きていた時代は、アメリカのペリーが黒船で来航し、日本に開国を迫った「幕末」と呼ばれる時代でした。ペリーが来航したとき、松陰はアメリカやヨーロッパに強い興味を持ち、小舟を盗んで黒船に忍び込んだという話も残っています。

これが原因で吉田松陰は牢屋に入れられてしまいますが、その後解放され実家で叔父の松下村塾の名前を引き継いだ塾を開き、明治時代に日本の首相となった伊藤博文や山県有朋といった様々な偉人を育てました。

※参照:伊藤博文ってどんな人?年表や業績を小学生むけに解説!

小学生でもわかる!吉田松陰の年表とは


ここでは吉田松陰の年表を、小学生の方にもわかりやすいようにまとめてみました。


・1830年(0歳)
長州藩(現在の山口県)で生まれる。

・1839年(9歳)
長州藩の藩校、明倫館(めいりんかん)で兵学を教え始める。

・1842年(12歳)
叔父の玉木文之進が松下村塾を開き、吉田松陰も入塾する。

・1850年(20歳)
兵学を学ぶため九州を訪れる。
肥後藩(現在の熊本県)の宮部鼎蔵(みやべていぞう)と親しくなる。

・1851年(21歳)
宮部鼎蔵と共に東北で学ぶために脱藩(だっぱん:藩の許可無く藩の外に出ること)をする。

・1852年(22歳)
脱藩の罪で藩士(はんし:藩に仕える武士)の身分を取り上げられる。

・1854年(24歳)
ペリーが下田に来航した際に黒船のひとつに忍び込み、長州藩の牢屋に入れられる。

・1855年(25歳)
牢屋から解放され、実家に戻る。

・1857年(27歳)
松下村塾の名前を引き継ぎ、実家で授業を始める。

・1858年(28歳)
日米修好通商条約に対する藩の対応に不信感を持ち、幕府の批判や倒幕を唱えるが、危険人物と見なされ、再び牢屋に入れられる。

・1859年(29歳)
安政の大獄で名前が上がり、江戸で処刑される。

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吉田松陰といえば、松下村塾で多くの若い人に教えてたことで有名です。松陰の授業は、先生が一方的に話すようなものではなく、教え子と議論したり、水泳や山登りに行くこともあるなど、先生と生徒が一緒に学び合うスタイルだったと言われています。

この松下村塾について、もう少し詳しく見ていきましょう。

松下村塾についてわかりやすく解説!


松下村塾は、吉田松陰の叔父である玉木文之進が開いた塾です。松下村塾を開いたのは吉田松陰だと考えてしまいそうですが、松陰は叔父さんが開いた塾を引き継いだのが正しいです。

ここで叔父の厳しい教育を受けて知識を深めていった松陰は、1857年に塾を引き継ぎ、武士だけでなく農民や町民など、身分に関係なく多くの人に様々なことを教え始めました。教え子の中には、先ほど解説した伊藤博文や山県有朋、そして奇兵隊を率いて江戸幕府との戦いに勝った高杉晋作といった人物がいました。。

しかし、1858年に松陰が牢屋に入れたため、松下村塾は閉鎖されてしまいます。その翌年に松陰はなくなるので、松陰が松下村塾の先生だった期間は1年ほどだったと言われています。そんな短い期間の中で、幕末や明治時代に活躍することになる多くの人物を育てたことで、松陰は多くの人から尊敬を集めています。

松下村塾がある場所は山口県の萩市なのですが、東京都や秋田県にもこの塾をモデルにした建物が置かれています。もしお近くにお住まいの場合は、一度おとずれてみるのもいいかもしれませんね。

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この記事のまとめ


このページでは吉田松陰とはどんな人だったのかを、年表や代表作をふくめて小学生の方にもわかるようにご紹介しました。

松陰は29歳という若さで亡くなりましたが、その人生は常に何かを学ぶために動き続けた人生でした。この吉田松陰の教えが明治時代に繋がり、日本を発展させたものだと思うととても感動しますね。


なお、以下の記事では吉田松陰の弟子で幕末に活躍した高杉晋作について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:高杉晋作ってどんな人?年表や奇兵隊を小学生向けに解説!