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鎖国を続けていた日本が開国を迫られた幕末の時代には、日本が世界の国々と対等に渡りあうために力を尽くした人物が大勢いました。その中でも、実際アメリカに渡り、世界を見てきた人物の一人が、このページで紹介する勝海舟(かつかいしゅう)です。


ここでは勝海舟がどんな人だったのかを、小学生の方にも分かりやすいように、年表や業績を交えてご紹介します。
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勝海舟ってどんな人?小学生にもわかるように解説!


まずは勝海舟がどんな人だったのかを、小学生の方にもわかるようにご紹介します。

勝海舟はすでにご紹介したように、江戸時代から明治時代にかけての政治家です。

1823年、勝海舟は江戸の武士の家に生まれます。若い頃から剣術に優れており、また蘭学にも詳しかったため、仕えていた江戸幕府の偉い人に目をかけられ、長崎で最新の学問や航海術などを学びました。1860年には咸臨丸(かんりんまる)という蒸気船に乗ってアメリカに渡り、当時おとずれる人がほとんどいなかった外国をその目で直接見てきた凄い人でした。

日本に帰ると神戸に海軍の学校を設立しますが、その後、江戸幕府を倒そうとする勢力との戦いが起こります。勝海舟は当時の将軍、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の命令を受けて敵方と交渉し、戦わずに江戸城を開城する事に成功しました。

明治時代になってからの勝海舟は、政治に参加するだけでなく、海軍の発展や、現在の東洋大学や専修大学の発展に力を入れた、教育に熱心な面もある人です。

※参照:徳川慶喜ってどんな人?年表や大政奉還を小学生向けに解説!

小学生にもわかりやすい!勝海舟の年表とは


ここからは、勝海舟の年表を小学生の方にもわかるように解説します。


・1823年(0歳)
江戸で生まれる。
生まれた頃は麟太郎(りんたろう)という名前でした。


・1838年(15歳)
父、勝小吉が隠居したため、勝家の跡を継ぐ。


・1853年(30歳)
黒船来航に伴い、海防(海からの攻撃に対して国を守ること)に関する意見書を提出する。


・1855年(32歳)
長崎海軍伝習所で蘭学や航海術を学ぶ。
もともと蘭学は得意だったので、先生として教える側にも回っていました。


・1860年(37歳)
蒸気船、咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへ渡る。
この時、1万円札で有名な福沢諭吉も一緒でした。


・1863年(40歳)
神戸海軍操練所の設立が幕府から認められる。
この時期、坂本龍馬などの土佐藩士が勝海舟の弟子になっています。

※参照:坂本龍馬ってどんな人?年表や業績を小学生向けに解説!


・1868年(45歳)
幕府軍と新政府軍との間で、戊辰戦争(ぼしんせんそう)が始まる。
徳川慶喜に戦いの収拾を任され、江戸城の無血開城に成功する。


・1872年(49歳)
海軍大輔(かいぐんたいふ)および海軍卿(かいぐんきょう)に任命される。
他にも多くの官職を授かっているのですが、短期間で辞めています。


・1899年(76歳)
脳溢血によって自宅で病死する。
死ぬ前に残した「コレデオシマイ」という言葉がよく知られています。

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明治時代後、勝海舟はかつて仕えていた徳川慶喜を許してもらうよう明治政府に取り合ったり、あるいは江戸幕府の家臣たちの生活の世話などを行っていました。

慶喜と勝海舟は意見が合わずに対立することも少なくなかったのですが、最終的には慶喜の子供と自分の孫娘を結婚させる形で仲直りしています。

勝海舟が成しとげた、2つの大きな業績とは?


勝海舟が残した業績の中でも、特に大きなものが二つあります。
それは、江戸城の開城と日本海軍の発展です。

まず、江戸城の開城については、戊辰戦争で新政府側が江戸に迫った時に、徳川慶喜に任され、新政府側の西郷隆盛(さいごうたかもり)と和平交渉を行いました。
この交渉での開城は、「江戸城の無血開城」と言われており、戦争による被害者が出なかったことで有名です。

※参照:西郷隆盛ってどんな人?年表や西南戦争を小学生向けに解説!


次は日本海軍の発展についてです。
黒船の来航で海防の必要性が見直された幕末で、勝海舟はその力を発揮しました。

長崎で航海術を学んだだけでなく、神戸でも海軍の学校を作り、実際にアメリカに渡るということは、当時はとても進んだ考え方だったと言えます。
明治維新後も活躍した海軍の人材を多く育てたことは、日本が外国との戦争(日清戦争、日露戦争など)で勝利する事になった一因と考えられるのではないでしょうか。

この記事のまとめ


勝海舟がどんな人だったのかを、年表や業績を交えながら小学生の方にもわかりやすいようにご紹介しました。

幕末は日本から海外に目を向けていた政治家もたくさんいましたが、勝海舟のように実際日本を出て、その目で世界を見るということが難しかった時代でもあります。

明治維新を迎えて日本が大きく発展したのは、こうした勝海舟の苦労や功績が大いに関わっているのだと、私は思います。

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