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2016年大河ドラマ『真田丸』の主人公である真田昌幸・信之・幸村(信繁)父子は、関ヶ原の戦いを前に豊臣方(昌幸・信繁)と徳川方(信之)に別れる決断をしました。

この真田父子の訣別は「犬伏の別れ」と呼ばれています。
では、真田昌幸・信之・幸村(信繁)の三人は、一体なぜ別れる決断をしたのでしょうか。

そこで今回は犬伏の別れとは何かについて説明するとともに、犬伏の別れが行われた場所である栃木県佐野市についても触れます。
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犬伏の別れとは?真田父子はなぜ訣別したのか?


犬伏の別れとは、関ヶ原の戦いの前に真田昌幸、信之、そして幸村(信繁)の三人が、東軍と西軍いずれにつくかを話し合った協議の事です。これによって、真田親子は東軍と西軍に分かれる事になったので「別れ」という言葉が付いている訳ですね。

豊臣秀吉の死後、徳川家康は天下取りに向けて動きを活発化させます。これに反発した会津の上杉景勝に不穏な動きがあることを察知した家康は、会津征伐の命令を出しました。この頃の家康はまだ豊臣家家老の立場であったため、会津征伐の命令は、名目上は豊臣軍が下したものでした。そのため真田父子も家康に従い、会津征伐に参加することになります。

ところが、徳川隊の先鋒部隊が集まる宇都宮城まであとわずかの距離である下野国犬伏にたどり着いたとき、真田父子の元に石田三成から密書が届きます。密書の内容とは、「豊臣家のために家康を討つべく挙兵する」というものでした。豊臣方に味方をするべきか、徳川方に味方をするべきか。真田父子は人払いをし、三人で激論を交わしたのです。

※参照:石田三成は戦下手?忍城攻めや関ヶ原の戦いから検証!


昌幸は三成と、幸村(信繁)は三成の親友である大谷吉継と姻戚関係にあった一方で、信之は家康の腹心の部下である本多忠勝と姻戚関係にありました。こうした事情もあり、豊臣方・徳川方どちらが勝っても真田家が存続するよう、昌幸・幸村は豊臣方に、信之は徳川方につくことを決めたのです。

結果として、それまで三人で行動を共にしてきた真田父子は、泣く泣く別れを選んだのです。
真田父子の訣別は、この話し合いが行われた場所にちなんで、「犬伏の別れ」と呼ばれるようになりました。

関ヶ原の戦いが起こると、豊臣方についた昌幸・幸村(信繁)は上田城に籠って戦い、徳川秀忠軍の足止めに成功します。一方の信之は秀忠軍に加わり、上田城攻めに加わっています。関ヶ原の戦いの後、昌幸・幸村(信繁)は高野山に蟄居となり、信之は上田藩主に任命されました。

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犬伏の別れの場所が行われた場所はどこ?


犬伏の別れについて簡単にご紹介しましたが、それではこの話し合いが行われた場所は一体どこなのでしょうか。

真田父子の命運をかけた犬伏の別れが行われた場所は、下野国犬伏(現在の栃木県佐野市犬伏町)です。この佐野市は栃木県の南西にある都市で、源平合戦の頃から、この地は佐野氏によって治められていました。中でも戦国時代に活躍した佐野昌綱という武将は、あの上杉謙信の侵攻をを10回も撃退した武将としても知られています。また、明治時代に発生した公害問題の解決に尽力した田中正造を輩出した都市としても知られています。


話を真田親子に戻しましょう。
この3人の協議が行われたと言われているのが「新町薬師堂」です。

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※参照:犬伏新町のお宝・自慢


このお堂は小ぢんまりとしているため、父子の命運をかけた密談を交わすのにふさわしい場所だったのでしょう。新町薬師堂の側には川が流れており、その川に架けられた橋は、真田父子が今生の別れをした場所として言い伝えられています。新町薬師堂は現存していますので、実際に訪れてみると感慨深いものを感じるのではないでしょうか。


また、犬伏の別れが行われた場所は「新町薬師堂」ではなく、同じ犬伏町にある「大庵寺」ではないかという説もあります。

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※参照: 佐野市:大庵寺


大庵寺は新町薬師堂よりも規模が大きく、相談をするには広い場所の方がよいという考え方もあるようですね。新町薬師堂と大庵寺は近くにあるので、セットで訪れてみてもよいでしょう。

この記事のまとめ


犬伏の別れについて、行われた場所も含めて解説しました。

豊臣家と徳川家の戦いの機運が高まる中、真田父子もまた生き残りをかけて昌幸・幸村(信繁)と信之に別れ、敵同士となる選択をしました。犬伏の別れとは、それまで行動をともにしてきた父子にとって身を切るようなものであったでしょう。

また、真田親子の別れの場所として語り継がれる新町薬師堂は、現在も栃木県佐野市に残り、真田父子の縁を伝えています。戦国時代には多くの別れがあります。佐野市では、家の存続や自らの姻戚関係に従って別れを選んだ真田父子の、痛切な想いを感じられるかもしれませんね。

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