豊臣秀吉の家紋は「桐紋」と呼ばれるものです。
他にも、ひょうたんの馬標や妻の実家の木下家の家紋を使っていた時期もありましたが、秀吉の家紋と言えばやはり桐紋のことを思い浮かべる事が多いと思います。
この桐紋ですが、一体どのような意味があるのでしょうか。
また、桐紋は日本政府や首相官邸にも使われている紋章としても有名ですが、なぜこうした所で秀吉の家紋が利用されているのかについても調べてみました。
豊臣秀吉の家紋「桐紋」の意味について
豊臣秀吉が用いていた家紋は「桐紋」と呼ばれるものですが、この紋章はもともと菊紋とともに天皇家のみが使っていたものでした。
なんだか凄く格式がありそうな家紋ですね!
一体どのような意味があるのでしょうか。
桐紋の「桐」とは、古代中国の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそうです。
こうした風習が日本にも伝わり、日本でも800年頃から天皇の衣類などに使われるなど、皇室のみが利用できる格式ある紋章として使われていたそうです。
やがて、桐紋は天皇家のみならず有力な武家も使い始めるようになります。
例えば、室町幕府の初代将軍である足利尊氏は、当時の後醍醐天皇からこの桐紋を恩賞として頂いたと言われています。
また、13代将軍である足利義輝は信長にこの桐紋を与えており、天皇家から有力な武家へ、有力な武家からその家臣へ…といった風に、桐紋を使う家は少しずつ増えていったそうです。
秀吉が桐紋を使い始めたきっかけも、信長からこの紋章を頂戴したためだと言われています。
その一方で、徳川家康は自分の家紋に権威を持たせるために、葵紋の使用を徳川将軍家および徳川御三家に限るといった施策を行っています。家紋をどのように利用するかは、その時々の権力者によって様々だったのでしょうね。
※参照:徳川家康の家紋「葵紋」の意味とその由来とは?
豊臣秀吉の家紋の話に戻ります。
秀吉が使用していた桐紋には数多くのバリエーションがあるのですが、その中で有名なのは「五三桐」および「五七桐」というものです。
こちらの画像をご覧ください。
この桐紋は、数が3−5−3になってますが、こうしたものを「五三桐」と言います。
一方の「五七桐」はこちら。
花の数が5−7−5になっています。
秀吉は、信長の家臣時代は「五三桐」を活用していたのですが、姓を豊臣と改めた時に「五七桐」を当時の後陽成天皇から与えられたのを機に、用いる家紋を後者に切り替えます。
やがて、秀吉は家臣に自分が使用していた五三桐や五七桐を分け与えるのですが、すると桐紋の希少価値が無くなるので、五七桐をアレンジした「太閤桐」といったものを使い始めるようになります。
上記の五三桐や五七桐と比べると、大きくアレンジが加えられているのが分かりますが、こうした大胆な事をするのも秀吉らしいですね。
なお、桐紋にはこれら以外にも様々なバリエーションがあります。
例えば、以下の桐紋は「土佐桐」と呼ばれるものです。
後に土佐藩主となる山内一豊が、秀吉にもらった桐紋をアレンジしたと言われています。
それぞれの桐紋の微妙な違いを見ていくのも、面白いですね。
秀吉の家紋「桐紋」を政府が使っている理由とは?
豊臣秀吉と桐紋の関係を語る際、現在の日本政府が秀吉が使っていたものと同じ桐紋を使っている事が話題になる事があります。500円硬貨にもこの桐紋が利用されていますね。
一体、なぜ政府が秀吉と同じ家紋を…と思われる方もいるかもしれません。
その答えですが、明治時代以降桐紋が日本政府の紋章として使われるようになったためです。
もともと桐紋は天皇家が使っていた紋章。その朝廷の政府…という繋がりで、当時の明治時代が桐紋を使い出し、その慣習が今に至るまで続いているだけなのです。
以下は余談ですが、明治政府が桐紋を活用している事について、豊臣秀吉の怨念が込められていると都市伝説などで言われる事があります。
関ヶ原の戦いで西軍が敗れた際、豊臣家の家臣の多くが薩摩と長州へ左遷された。
そして260年の時を経て薩長桐紋を掲げて倒幕運動を行い、今の明治政府が誕生した…というものです。
個人的には「論理飛躍し過ぎ!」と思うのですが、都市伝説の範囲内で楽しむのも悪くはないのかなと感じます。
この記事のまとめ
豊臣秀吉の家紋である桐紋について、理解していただけましたでしょうか。
桐紋はもともと天皇家専用の紋章だったのですが、やがて武家社会、そして秀吉のもとへ広がっていく事になります。
現在の日本政府も桐紋を使っているため、ニュースなどでこの紋章を見かける機会も多々あると思います。また、500円硬貨にも使われているため、手元に財布があれば500円が入ってないか、一度チェックしてみてください。
ちなみに、以下では秀吉の主君である織田信長の家紋について解説しています。興味があれば一度ご覧になってみて下さい。
※参照:織田信長の家紋の読み方や木瓜紋の意味を簡単に解説!
[…] 豊臣秀吉の家紋の意味は?政府が使っている理由について! | 歴史をわかりやすく解説!ヒストリーランド […]
残念ながら、真実は異なる。元々は我が一族の裏家紋で朝廷が和睦を申し来たので、証に授けたのが本当です。
[…] 豊臣秀吉の家紋の意味は?政府が使っている理由について! […]
明治維新が下級武士中心に行われていますが実は豊臣家末裔が関与している可能性もあるのではないでしょうか。明治維新を主導した人物の中に豊臣家に深い関係がある人物がいるように思います。それを将来証明される事を期待し豊臣家の桐の家紋を明治政府で使用したのではないかと考えます。
つまり、明治以来の政権は、豊臣政権が復権したということですな。
ぜひとも、いつかは徳川政権が復権してもらいたいものだ。
関ヶ原の西軍総大将は長州毛利家ですからね。石田三成ではない。
そして毛利秀元。彼は毛利庶流の人物ですが、若い頃から秀吉の寵愛を受け、毛利家中の豊臣派でした。大坂の陣では家臣に命じて豊臣側で参戦させたくらいです。毛利嫡流家は江戸時代に断絶し、後を継いだのはこの毛利秀元の家系です。もちろん幕末の当主毛利敬親も。
桐紋は知っていましたが、やっぱり秀吉さんっていうのがイメージにありました。
一度、我が家の家紋も調べてみようと思います。家紋ってデザイン的にも素敵ですよね。私はそう思います。