豊臣秀吉の弟として、また右腕として政務や軍事で大いに貢献した豊臣秀長
彼の活躍なければ、豊臣秀吉の天下統一は叶わなかったとも言われています。

この豊臣秀長ですが、兄の秀吉の影響を受けたのか、藤堂高虎など築城に秀でた家臣を多く召抱えた事でも知られています。

そこでこの記事では「豊臣秀長ゆかりの城」というテーマで、竹田城、和歌山城、大和郡山城と秀長の関わりをご紹介します。

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秀長はあの「天空の城」竹田城の城代を務めていた!?


竹田城の跡地は現在観光スポットとして有名です。天空の城や日本のマチュピチュなどと呼ばれていますが、兄の秀吉が中国征伐の司令官だった時期に、豊臣秀長が城代を務めていた事でも知られています。

竹田城と秀長の関わりについて簡単に説明します。

1577年に生野銀山を確保するために、秀吉は竹田城も攻め込みました。その後に秀長は城代に任命されましたが、1578年の三木合戦の合間に太田垣輝延に竹田城を奪われてしまいました。

そして1580年に秀吉は秀長に命じて竹田城を奪還しています。この城は、戦国武将同士の奪い合いが激しかった城と言えそうですね。その後秀長は竹田城の改修を行っていましたが、のちに家臣の桑山重晴に後を継がせました。


秀長は当時から秀吉のNo.2として認識されており、また秀長自身は兄に代わり、主に山陰方面の毛利方の勢力と戦っています。1580年には但馬国を支配していた山名祐豊の居城である出石城の城主にもなっていますね。一方の竹田城は桑山重晴から斎村政広が城主になっています。

秀長は当時から秀吉の右腕を務めていたという事もあり、竹田城のみを支配するという訳にはいかなかったのでしょう。

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紀伊徳川家の居城、和歌山城を築いたのは秀長だった!


1585年、秀長は秀吉の紀州征伐の功績によって紀伊を与えられ、その居城として和歌山城の築城を開始しています。この築城を担当したのが当時「秀長のNo.2」であった藤堂高虎なのですが、彼にとってこの和歌山城が最初の築城でした。今後彼は築城のプロとして有名になっていくので、秀長は、兄の秀吉に似て人を見る目が優れていたと言えますね。

ちなみに「和歌山」という名称が使われ始めたのがこの頃です。


しかし秀長は同年、四国征伐の功績によって大和国を与えられたため、和歌山城の完成を前に後述する大和郡山城へと移ってしまいました。竹田城の時と同じように彼の家臣である桑山重晴が城代となり、築城を続けたそうです。

秀長は、秀吉政権の中心であり、管轄が多岐にわたっていました。そのため全体の指示のみを行い、自身の部下に任せるという形になったと思います。彼の指示を家臣が忠実に実行している点からも、人をまとめ上げる力があり、人望も厚かったと思います。


ちなみに和歌山城は関ヶ原の戦いの後は浅野家の居城となり、その後は徳川御三家の一つである紀伊徳川家の所領として江戸時代を通して栄えました。

※参照:徳川御三家の現在とは。尾張・紀伊・水戸の末裔はどんな人?

秀長がもっとも開発に力を入れた大和郡山城について


秀長はその後、四国征伐の功績として大和国を与えられ、後の居城となる大和郡山城に入城しています。当時の秀長は「大和大納言」と呼ばれており、また大和の他に和泉・紀伊の3国を中心として合計100万石を領有していたとされています。

秀長はこの大和郡山城で様々な政策を行いました。領主としての権威を示すために、城郭の構築に力を入れ、商工業種別を基本とした箱本十三町という制度を始めました。近隣の町から商人や職人を集め、商業を発展させました。

大和郡山城には、築城以外にも政策を行った記録が残っているため、秀長にとっても最もゆかりのある城と言っても過言ではないでしょう。秀長は、1591年、大和郡山城で病死しました。金銀が大量に残されていたという記録もあり、秀長にとって最も関連の強い城であったと言えます。秀長とその養子であった秀保の死後、大和郡山城には五奉行の一人である増田長盛が入城しています。

兄の秀吉を立てる役割を果たしていた秀長ですが、政権の実質的なNO.2としての権威を十分に示す場として大和郡山城が機能していたと感じますね。

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この記事のまとめ


豊臣秀長ゆかりの城である竹田城和歌山城大和郡山城の3つについてご紹介しました。

これらの城の開発に関わった秀長ですが、豊臣政権の中核であったこともあり、自身の居城である大和郡山城以外は直接の関りは薄かったと思いました。
しかし、こうした城には「豊臣政権No.2」である秀長が関わったという事実が付与される事で、その権威が増したのではないかと感じますね。


ちなみに、以下の記事では豊臣秀吉ゆかりの城について解説しています。秀吉に関係のある10城を厳選してみまとめてみたので、興味があればご覧になってみて下さい。

※参照:豊臣秀吉ゆかりの城まとめ!建築や城攻めなど解説してみた