「日本の伝統芸能」といえば、あなたは何を思い浮かべますか?
歌舞伎ですか?浄瑠璃なんかもありますね。

その中でも、特に古くから親しまれているものに能があります。

この能を大成させた人物が室町時代に活躍した世阿弥(ぜあみ)です。
「風姿花伝」という著作でも知られている世阿弥とは、一体どんな人物だったのでしょうか。

世阿弥がどんな人だったのかを、その父の観阿弥(かんあみ)と共に見ていきましょう!
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世阿弥ってどんな人?実は佐渡島に流刑されていた!?


まずは世阿弥がどんな人だったのかを、わかりやすくご紹介します。

世阿弥は室町時代に活躍した猿楽師(さるがくし)です。名前を元清と言いました。猿楽とは能のことで、能は江戸時代までは猿楽と呼ばれていました。世阿弥の父、観阿弥も大和国(現在の奈良県)で猿楽の一座に在籍しており、世阿弥も幼いころからこの一座で出演していたようです。

転機になったのは世阿弥が12歳の時、京都の今熊野で催した猿楽能でした。この今熊野の地で、観阿弥・世阿弥親子は当時の室町幕府将軍であった足利義満の目に止まり、以後、その庇護を受けるようになります。
こうして、貴族・武家社会に触れた世阿弥は父の死後、跡を受け継ぎ、父が遺した猿楽能に貴族社会で需要のあった幽幻美を取り入れた「夢幻能」という能の形式を大成させていきました。

1400年、世阿弥は自らの能の理論を記した書物「風姿花伝」(ふうしかでん)を執筆します。
しかしこの頃には義満は亡くなっており、足利将軍家からの世阿弥に対する待遇も少しずつ薄くなっていきました。

そして義満の子供である足利義教が6代将軍となった時代には、世阿弥は佐渡島に流刑されるなど、厳しい境遇に立たされる事となります。その後、京都へ戻る事が許されたようで、一説では幼少期に世話になっていた大和国の補巖寺(ふがんじ)に帰依したと言われています。

※参照:足利義満が金閣寺を建てた理由やその後の歴史。頂上の鳳凰とは?

「風姿花伝」(ふうしかでん)とは。内容をわかりやすく解説!


世阿弥は生涯の中で芸能に関する著作を数多く残しています。
その中で最も有名なのが風姿花伝です。

風姿花伝の成立は15世紀の初めごろと言われていて、日本最古の演劇論だとも考えられています。気になるその内容ですが、能の上達方法や心構え、見せ方といった事柄が、世阿弥独自の解釈によって記されています。

世阿弥は能において、人を感動させる力を「花」と表現していました。現在でもよく使われる「秘すれば花」という言葉は、この書物の中の「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」という一節から来ているとされています。

この書物は、世阿弥の一族のみが触れる事が許されており、一般の人は風姿花伝というものがある事すら知りませんでした。20世紀初頭、吉田東伍(よしだとうご)という歴史学者がこの書物の存在を学会で発表したのを機に、多くの人の目に留まる事になります。現在では現代語訳や外国語訳もされていて、誰でも世阿弥の芸術に対する姿勢や美学に触れることができます。

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世阿弥の父、観阿弥ってどんな人?猿楽と田楽の違いって?


ところで、世阿弥の父親は観阿弥(かんあみ)という有名な能(猿楽)の楽師でした。
一体どんな人だったのでしょうか。もう少し詳しく見てみましょう。

観阿弥の経歴は不明な点が多いものの、もとは大和国(奈良県)で猿楽の役者をしていた人物だと言われています。実名は清次だと言われており、1370年代頃から、自らが率いる一座(観世流=かんぜりゅう)を率いて京都に進出し、足利義満の目に留まったと言われています。

当時の能は、物真似を重んじる猿楽よりも舞いに重点を置く田楽(でんがく)の方が評価が高く、室町幕府の創始者である足利尊氏も田楽を庇護していました。その後、足利義満が観阿弥・世阿弥親子を庇護することになり、ようやく観阿弥の一座が幕府お抱えの一座であると認識されるようになったのです。

※参照:足利尊氏ってどんな人?年表や室町幕府を小学生向けに解説!

観阿弥の猿楽が受け入れられた理由に、田楽の要素や流行の楽曲を取り入れた演出が人々の心を掴んだためと言われています。世阿弥によると、観阿弥の能は身分の高い人から庶民に至るまで多くの人に親しまれたとされています。

余談ですが、観阿弥の母親に当たる人は南北朝時代で活躍した楠木正成の姉妹に当たる女性だという説があります。これについては異論もあるのですが、仮にこれが本当であれば、観阿弥は楠木正成の甥に当たる事になります。その真偽が明らかにするのは難しそうですが、歴史マニアにとっては創造が掻き立てられる話ですね。

この記事のまとめ


このページでは世阿弥がどんな人だったのかを、著書の風姿花伝や父親の観阿弥と共にわかりやすくご紹介しました。

観阿弥、世阿弥親子が大成させた能は観世流(かんぜりゅう)と呼ばれ、2006年には560名ほどの能楽師がいる事からも、今も伝統芸能としてその芸を継承しています。
また、世阿弥が「花」と表現した価値観や美学は、私たちの生活に息づいているのです。

世阿弥を知ることで、長い間続く日本特有の芸術を身近に感じる事が出来るかもしれませんね。

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