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最強の戦国武将」と言えば、どの武将が頭に浮かびますか?

一般的には上杉謙信や真田幸村、織田信長といった人物が浮かぶと思いますが、ここではあえて「個人として最強だった戦国武将」に注目を当ててみたいと思います。

独断と偏見ではありますが、個人で最強だった5人の戦国武将をピックアップしてみました!
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本多忠勝より参加した戦いの数が多かった馬場信春


戦国武将で個人で最強だった人と言えば、まずはこの馬場信春を挙げたいと思います。

信春は長篠の戦いで戦死するまで、その生涯で70回もの戦いに参加しながらかすり傷ひとつ負わなかったと言われています。この事から、その官職にちなんで「不死身の鬼美濃」という異名で呼ばれているほど。かすり傷ひとつ負わなかった武将と言えば本多忠勝が有名ですが、忠勝の場合は参加した戦いの数が57回となっています。最終的に戦死したとは言え、戦いの数を踏まえてここでは馬場信春に注目してみたいと思いました。

また、戦死した長篠の戦いでも、武田勝頼を退却させるために殿を務め、その退却後は追撃してきた織田軍と戦い戦死しているのですが、その様子を信長公記は「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評価しています。

馬場信春については以下で詳しく紹介してるので、よかったらどうぞ。

※参照:馬場信春ゆかりの城や長篠の戦いでの最後とは。子孫はいる?

討ち取った相手への礼儀も忘れない!可児才蔵


個人で最強だった戦国武将、その2人目は可児才蔵です。

可児才蔵は十文字槍を用いる「宝蔵院流槍術」の創始者である胤栄に槍を学び、斎藤龍興や森長可、豊臣秀次や佐々成政といった様々な武将に召し抱えられた事で知られています。森長可の家臣時代には武田攻めにも加わり、16個の首級をあげるという手柄を立てています。

最終的には福島正則の家臣として落ち着き、小田原攻めや関ヶ原の戦いで手柄を立てました。
小田原攻めでは韮山城攻撃に先頭に立って参加し、敵方の北条氏規からもその武勇を賞賛されています。また関ヶ原の戦いでは合計20の首を打ち取り、その働きは家康からも高く評価されています。

この可児才蔵という武将ですが、風流な一面もありました。戦いにおいて討ち取った武将の遺体に笹の葉を置いていた事から「笹の才蔵」とも呼ばれていたのですが、これは笹(ささ)を酒に見立て、相手に飲ませたという彼なりの誠意だったと言われています。

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個人としては戦国最強?出奔も多い水野勝成


水野勝成という武将をご存知ですか?
この人物も、個人で最強だった戦国武将の1人に数えてもいいと思います。

水野勝成はわずか16歳という年齢で、1579年の高天神城の戦いで16個の首級を打ち取り織田信長からその武勇を賞賛されました。その後も以下の戦いで個人としての功績を立てる一方で、関ヶ原の戦いや島原の乱では指揮官としても活躍しています。

・天正壬午の乱:先陣をきって敵陣に侵入し、数多くの首級をあげる
・小牧長久手の戦い:豊臣秀次の配下の陣に攻め込み、一番首をあげる
・肥後国人一揆:菊池城攻めで一番槍の功績をあげる
・大坂の陣その1:道明寺の戦いで後藤又兵衛と戦い、一番槍の功績をあげる
・大坂の陣その2:真田幸村の壊滅に貢献し、明石全登と戦い2つの首級をあげる



その一方で、水野勝成は父親に勘当され徳川家を出奔したり、その後に仕えた仙石秀久や小西行長、立花宗茂といった武将に仕官しては短期間で出奔するなど、落ち着きがない人物でもあったようです。最終的には福山藩10万石の藩主となり、福山城の築城を行うなど領主としての功績も残しています。

刀を愛した武人大名、佐竹義重


大名として個人で強かった武将の中で有名なのが、この佐竹義重です。

佐竹家の全盛期を築き上げた事跡で知られる義重ですが、個人としての武勇もかなりのものでした。彼は剣の達人であったようで、愛刀の「八文字長義」で北条方の武将を切ったところ、その人物は兜ごと真っ二つになったという逸話が残されています。他にも7人の敵を一度に切り倒したとか、家臣が刀の手入れが出来ているか常に確認し、手入れを怠っていた者を叱ったという逸話が残されています。

こうした個人としての強さの他にも、当時の佐竹家は、関東で一番鉄砲を持っていた大名家であったとされており、実際に豊臣政権下で佐竹家の領土を増やしている事からも、大名としての評価も高い人物です。また、関ヶ原の戦い後に佐竹家が常陸国から出羽国へ減封された際も、領国にいる美人を連れて行き、これが後の秋田美人に繋がってくというエピソードがある人物でもあります。

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鉄砲を使えば最強だけど実はヘタレ?稲富祐直


最後に、鉄砲の名人として知られる戦国武将を1人紹介します。
一色家や細川家、尾張徳川家に仕えた稲富祐直(いなどめすけなお)という武将です。

稲富祐直は鉄砲の名人として知られており、その腕前は「針の先にぶら下がっているシラミを撃ち抜いた」「姿を一切見る事なく鳴き声を聴いただけで鳥に命中させる」といった”あり得ない”レベルのもの。鉄砲を持たせてしまえば、ある意味個人で最強だった戦国武将NO.1とも言えるかもしれません。

しかし彼は、ある意味「ヘタレ」でもあったようです。関ヶ原の戦いの歳、稲富祐直は主君の細川忠興から妻のガラシャの警護を任されているのですが、彼女が石田三成によって人質にされそうになるとガラシャを警護するどころか、その場を逃げ出してしまったのだとか。この他にもあまり宜しくないエピソードが残されている人物でもありますが鉄砲の腕は確かだったようで、晩年は尾張徳川家に仕え、江戸幕府の鉄砲技術の向上に力を尽くしました。

※参照:細川ガラシャは美人だった?年表や辞世の句の意味について!

この記事のまとめ


戦国武将の中でも個人で最強なのは誰だったのか。
この点について、独断と偏見で5人の武将を挙げてみました。

一般的に「最強の戦国武将」と言うと、織田信長や武田信玄、上杉謙信のような大名、あるいは真田幸村や島津義弘といった部隊の指揮官をイメージする方が多いと思います。ただ、こうした大名や武将だけではなく、個人として強かった武将に注目してみるのも、戦国時代をより味わう一助になるのではないでしょうか。

※参照:上杉謙信は戦国最強?実際の強さは?織田信長と戦っていたら?