戦国武将、織田信長の家系図をあなたはじっくりと見たことがありますか?
なんとなくは知ってはいるけど…という方もいると思いますが、改めて見てみるとそうだったんだ!と新たな発見が隠れているかもしれませんね。
そこで今回は、織田信長の家系図をわかりやすく解説します。
信長の曽祖父からその子孫まで一緒に辿ってみましょう。
豊臣秀吉や徳川家康との繋がりについても解説してみたいと思います!
織田信長の基本的な家系図について解説!
まずはこちらの画像をご覧ください。
織田信長の曽祖父、織田良信から信長の孫にあたる秀信までの関係が分かります。
信長の曽祖父である織田良信に関する詳しい記述はありませんが、祖父にあたる織田信定は、織田家を戦国大名として発展させた人物と伝わっています。
また、信長の父となる織田信秀も優れた武将であり、斎藤道三や今川義元などとも戦を繰り広げた事から「尾張の虎」と呼ばれるほどの人物でした。
そして、大勢いる信秀の子の中でも嫡男の信長は大うつけ者として有名でしたが、父の信秀だけは信長を高く評価しており、生前から跡継ぎは信長と決めていたようです。
信秀から家督を継いだ嫡男・信長は、斎藤道三の娘・濃姫を正室として迎えることで父の代から領地争いを続けていた斎藤家と和解し、尾張統一へと歩みを進めたのです。
この濃姫ですが、なんとあの明智光秀の家系と繋がっているんですね!
濃姫の母・小見の方は光秀の叔母にあたるので、つまり濃姫は光秀の従兄弟ということです。
のちの本能寺の変を考えると何だか怨恨深いものを感じてしまうのは私だけでしょうか?
また信長は、絶世の美女と謳われる妹のお市の方を浅井長政に嫁がせたりして勢力を拡大していくのは歴史ファンにとってはお馴染みですよね。
そして子の信忠、孫の秀信へと続いていきますが…その後の織田家はどうなったのでしょうか。
本能寺の変後、織田信長の子孫はどうなったのか?
現在でも人気高い織田信長ですが、その死後の織田家についてはあまり知られていません。
信長の子供たちはどうなったのでしょうか。
まず、信長の嫡男・信忠は本能寺の変にて26歳で自害。三男・信孝は次男・信雄によって自害させられ、豊臣秀吉の養子となった四男・秀勝も18歳という若さで病死。
主な活躍をした信長の息子たちはここまでですが、その一方で、元フュギィアスケート選手・織田信成さんは七男信高の家系だと言われています。しかし、それを指し示す物証は残っておらず、その事実関係を実証するのは困難なようです。
その一方で、何かとお騒がせの次男・織田信雄の家系は明治時代までその名を残しています。
こちらの画像をご覧ください。
信雄には8人の男子がいたのですが、このうち4男で小幡藩主となった織田信良は娘を徳川家光の弟、徳川忠長に嫁がせた事で、国主並みの待遇をこの先長年受けることになりました。
その後、信良の家系は1828年に出羽国(今の山形県)天童藩に移封し、戊辰戦争で新政府に対抗した後、明治時代に入ると子爵になりました。
また、信雄の5男である高長は大和国(今の奈良県)に2万石の領地を与えられ、後に丹波の柏原藩へ移封。この家系も明治時代になると子爵の位を授けられています。
※参照:徳川家光ってどんな人?年表や島原の乱を小学生向けに解説!
家系図から見た三英傑・織田信長と秀吉、家康の関係とは?
織田信長の家系図からは、豊臣秀吉や徳川家康との繋がりも見て取る事が可能です。
こちらの画像をご覧ください。
画像の右上に信長の文字が見えますが、ここでのキーパーソンになるのは、信長の妹であるお市の方です。
お市の方と言えば、賤ヶ岳の戦いで秀吉に攻め滅ぼされた事で知られてますが、その長女である茶々は秀吉の側室となり、その間に嫡男である秀頼が誕生しています。
つまり、秀吉は信長の姪と結婚した事になるんですよね。
一方の信長と徳川家康の関係ですが、家康の3男、徳川秀忠が、こちらもお市の方の三女で茶々の妹である小督を妻に迎えています。
家康の息子と信長の姪が結婚したことになりますが、その後、この2人の間に生まれた千姫がなんと、秀吉と茶々の嫡男・秀頼に嫁いでいるのです!
婚姻関係により、この三英傑は親戚であったことになります。
今では考えられない家系図ですよね…
いずれにしても信長の妹にして絶世の美女・お市の方が、この戦国三英傑のキーパーソンと言えそうですね!
この記事のまとめ
織田信長の家系図についてご紹介しました。
信長の家系図を見ていくと、妹のお市の方を通して結ばれている秀吉や家康だけではなく、明智光秀や斎藤道三との繋がりも見えてきます。
信長の子孫は次男の信雄の家系が明治時代にまで残りました。信長は一時期、信雄との親子の縁を切ろうとしたとも言われてますが、自らの子孫がその信雄の血を引いていると知った場合、どのような感想を抱くのかが気になりますね。
なお、以下の記事では豊臣秀吉の家系図について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。
※参照:豊臣秀吉の家系図を簡単にわかりやすく解説!
私の実家は奈良県宇陀市にある生駒家、家紋は織田瓜、
信長とどんな関係になるのか気になり、家系図を見てみました。
歴史の知識は、ほぼゼロですが。
ふと考えたのですが、信長の子孫は単純に10代目でも何千万人と言う大人数になりますね。
手書きの家系図、見やすく、参考になりました。ありがとうございました。
少年時代の記憶が蘇り目から鱗の思いです。
最近信長に支え寵愛を受けた最初のアフリカ出身の侍の映画がアメリカはハリウッドで企画されてますが、そのアフリカ侍は弥助と呼ばれ身の丈188センチ漆黒の肌に真っ白な歯、文武に優れ謡舞もこなす美青年で戸隠流の忍者の伝聞もあるとか。