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あなたは「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を聞いた事がありますか?

この言葉は、明治時代の政治家、板垣退助(いたがき たいすけ)が残した有名な言葉で、「板垣退助が死んだとしても、日本国民が自由であることに変わりはない」という意味があります。

自由民権運動を行った事でも知られる板垣退助は、一体どんな人だったのでしょうか。年表を交えながら、小学生の方にもわかるようにご紹介します。
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板垣退助ってどんな人?小学生にも分かりやすく解説!


まずは板垣退助がどんな人だったのかを、小学生の方にもわかりやすく解説します。

板垣退助は土佐藩(現在の高知県)の武士の家に生まれました。幼いころはわんぱくだったと言われる一方で、弱い者いじめはしない子供だったそうです。

大人になると、板垣退助は土佐藩の武士として、薩摩藩(現在の鹿児島県)の大久保利通(おおくぼとしみち)や西郷隆盛(さいごうたかもり)と知り合い、江戸幕府をたおすために同盟を結びました。幕府との間におこった戊辰戦争(ぼしんせんそう)では、新政府軍を率いて活躍しています。

明治時代に入ると、板垣退助は政治の世界で活躍します。同じころ、板垣退助は征韓論(せいかんろん)という武力で朝鮮を開国しようという意見を、西郷隆盛といっしょに支持していました。しかし、この意見が受け入れられることはなく、板垣退助は明治政府を去ることになりました。

また、板垣退助は民衆の立場にたった政治家として、当時から多くの人気がありました。後でも紹介する自由民権運動を行うようになった事から、日本の民主主義の発展に大きな功績を残したことでも知られています。

※参照:西郷隆盛ってどんな人?年表や西南戦争を小学生向けに解説!

小学生でもわかる!板垣退助の年表


ここでは板垣退助の年表を、小学生の方にもわかるようにご紹介します。


・1837年(0歳)
土佐藩(現在の高知県)の武士の家に生まれる。

・1867年(30歳)
薩土密約(さっとみつやく:土佐藩と薩摩藩が結んだ同盟)を結ぶ。

・1868年(31歳)
戊辰戦争(ぼしんせんそう)に参加する。

・1871年(34歳)
明治政府で参議(さんぎ:政治を行う役職のひとつ)になる。

・1873年(36歳)
征韓論(せいかんろん:朝鮮を武力で開国しようという意見)が受け入れられず、政治家をやめる。

・1874年(37歳)
高知県で立志社(りっししゃ)という政治の団体を作る。
「民撰議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)」を政府に提出する。

・1881年(44歳)
自由党(じゆうとう)という政治の団体を作る。

・1882年(45歳)
岐阜県で演説のあと、集まった人の中の一人からおそわれケガをする。
「板垣死すとも自由は死せず」という言葉が有名になる。

・1898年(61歳)
対立していた大隈重信(おおくましげのぶ)と一緒に、憲政党(けんせいとう)という政党を作る。
日本で初めての政党内閣である隈板内閣(わいはんないかく)に参加するが、4ヶ月で失敗する。

・1900年(63歳)
政治家を引退する。

・1919年(82歳)
東京都で亡くなる。

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板垣退助が行った自由民権運動とは?


板垣退助を知る上で欠かせないキーワードが自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)です。
これは一体、どのようなものだったのでしょうか。

このころの政治は、薩摩藩(現在の鹿児島県)や長州藩(現在の山口県)といった、決まった藩の出身者のみが政治を行っていました。それに疑問を持った板垣退助は、士族(江戸時代に武士の身分だった家の者)や一般の人々も政治に参加するべきだと考えます。

そして1874年に、民衆が選挙で選んだ議員が参加する議会の設置を求めた「民撰議院設立建白書」(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)を政府に出したのです。この建白書が、自由民権運動の始まりだと言われています。

この運動は、地方のお金持ちから都会の貧しい人々など、多くの人が参加した事で盛り上がりました。この運動に対して、明治政府が取り締まりを行った事もあって、一時は運動は盛り上がらなくなります。

その一方で、伊藤博文(いとうひろぶみ)ら薩摩藩や長州藩の政治家の人たちも、自由民権運動の考え方をある程度は取り入れた方がいいと、少しずつ考えるようになりました。
そして1889年には大日本帝国憲法が、1890年には日本ではじめての選挙が行われ、国会が開設される事になりました。

板垣退助が行った自由民権運動は、日本人だれもが政治に参加する自由があるという意見が基本になっています。今では当たり前となっている、選挙で選んだ議員が国会で政治をするという政治の考え方は、板垣退助という人物のおかげ広がったと言ってもおかしくはないのです。

※参照:伊藤博文ってどんな人?年表や業績を小学生むけに解説!

この記事のまとめ


このページでは板垣退助がどんな人だったのかを、年表や自由民権運動を含めて小学生の方向けにご紹介しました。

板垣退助は、民衆の立場になって活動した人物でした。民衆の、政治に対する自由を求めた彼の考え方は、当時としては少し進んだ考え方だったのかもしれません。

しかし、彼の政治に対する自由という考えは今の選挙のあり方にも影響を与えています。彼の求めた自由は、きちんと現在にも受け継がれているんだと感じました。

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