元服とは男性の儀式であり、一人前の人間として周囲に認められるために行われました。
現代でいう成人式のようなものですね。
このページでは元服にスポットを当て、年齢や髪型の変化などをまとめてみました。
また、女性にも元服はあったのかという点についても言及します。
元服が行われた年齢は何歳ごろだったのか?
歴史ドラマなどで元服のシーンが描かれる際、年齢に個人差がありますよね。
それは一体なぜなのでしょうか。
元服を行う年齢ですが、明確には定められていません。奈良時代では数え年で11歳~16歳の間に行うのが主流であり、室町時代になると年齢幅が5歳~20歳まで広がります。また、室町時代には、その家の始祖が元服をした年齢に合わせて元服をするという慣例も生まれました。
戦国時代における元服の年齢も、これら一連の流れに従っていると考えられています。
数え年で5歳~20歳の間に行われており、その大半は11歳~16歳の間だったそうです。慣例としては、家の始祖が元服をした年齢に達したときに行われることが多かったそうですね。
早い例では伊達政宗が11歳で元服をしています。遅い例は、諸説ありますが、真田幸村は20代前半に元服をしたのではないかと言われています。
江戸時代になっても、元服が行わる年齢は15歳前後とあまり変わりはありません。
ちなみに20歳が成人になったのは、明治28年に制定された民法によるものです。
※参照:伊達政宗ってどんな人?年表や目の眼帯について!
※参照:真田幸村ってどんな人?年表や大坂の陣を小学生向けに解説!
元服によって髪型はどのように変わったのか?
元服のシーンが描かれる際、髪型が変化したことに気づくでしょう。
実はこうした髪型の変化は、元服と大きく関わっています。
元服が行われる際、一人前の人間になったことを示すために、上の画像のような「烏帽子」という帽子を被ります。この烏帽子を被るためには、「総角(そうかく)」という子どもの髪型から、「冠下の髻(かんむりしたのもとどり)」という髪型に結い直す必要がありました。
総角とは、髪を肩まで垂らした髪型やポニーテールのように後頭部で簡単に結う髪型のことです。一方の冠下の髻とは、伸ばした髪の毛を一つにまとめて結い上げ、頭のてっぺんでまとめる髪型のことです。
つまり、元服によってふさふさした総角から、きりっとまとめた冠下の髻へと髪型を大人のものに変えるということですね。
髻とは元服を終えた青年、つまり一人前の大人として認められた証であるため、元服を済ませたものはみなこの髪型をすることによって、一人前の人間であることをアピールしたのです。
なお、元服の際に用いられていた烏帽子は江戸時代になると被る事も少なくなり、髪型も前髪を剃る程度という風になったそうです。
元服による髪型の変化や利用された道具は、時代と共に少なくなっていったそうですね。
女性は元服をしてたのか?裳着って何?
元服というと男性特有の儀式というイメージがありますよね。
それでは、女性にも「元服」というものはあったのでしょうか。
昔の女性は成人した際、元服ではなく「裳着」(もぎ)という儀式を行っていました。
つまり、「元服」という名称ではないものの、昔の女性も男性同様に成年式を行っていたと言えそうですね。
この裳着は平安時代から安土桃山時代において、12歳から16歳までの年齢の女性を対象に行われていました。ただし、政略結婚が盛んだった戦国時代の場合、裳着が行われた年齢は8歳にまで繰り下がっています。
これが江戸時代になると、武家や庶民の女性は男性と同様に元服を行うようになります。
年齢は18歳から20歳へと繰り上がり、結婚と同時に眉を染めたりお歯黒を付ける形で行われたと言われています。
この記事のまとめ
元服について、年齢や髪型の変化などをご紹介しました。
元服や、それによって変化する髪型は、これを行う男性が一人前の人間として周囲に認められたことを示すものでした。また、元服と言えば男性が行う儀式というイメージがありますが、江戸時代には女性も元服を行っていたんですよね。
ドラマやマンガで元服のシーンや髪型の変化が描かれた場合は、「この人は一人前の人間になったのだ」という視点で見ると、作品の内容もさらに理解しやすくなるかもしれませんね。