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毎年12月になると、テレビの時代劇で忠臣蔵が放送されています。古くから日本人に愛されてきたこの物語の人気の理由は、一体どこにあるのでしょうか。

今回は、忠臣蔵をはじめて知る方にもわかりやすいように、この話のあらすじや主要な5名の登場人物を簡単に解説します。
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忠臣蔵とは?あらすじを簡単に解説!


忠臣蔵とはどのような話なのか。
まずはそのあらすじを簡単に解説します。

忠臣蔵の話は江戸時代中期の1701年に起こった「赤穂事件」がもとになっています。この事件は、江戸城にあった松の廊下という場所で、今の兵庫県の西側にあった赤穂藩の藩主、浅野内匠頭が江戸幕府の家臣、吉良上野介を刃で切り付け、重症を負わしたことが発端となります。

調査の結果、加害者の浅野内匠頭が切腹となった一方、吉良上野介に対して処分が下される事はありませんでした。当時は、事件の加害者と被害者は共に処分がある「喧嘩両成敗」という決まりがあり、本来であれば吉良側にも処分が下るべきでしたが、処分が下ったのは浅野側のみでした。浅野内匠頭は即日切腹となっただけではなく、治めていたお取りつぶし、藩士は失業し浪人となりました。

その結果を不服とする赤穂藩の家老・大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47名は、藩主の無念を晴らすべく赤穂藩お取り潰しの撤回運動を行います。しかし、これは思うようにいかなかったため、赤穂浪士たちは主君の仇討ちのため、吉良上野介を討ち取ることを決めました。

大石内蔵助ら47名の藩士は水面下で準備をすすめ、浅野内匠頭の命日でもあった元禄15年12月14日の未明に吉良邸への討ち入りを果たし、吉良上野介の首を打ち取ります。その後、浪士たちが切腹するまでが、忠臣蔵という話のあらすじになります。

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忠臣蔵の主要な登場人物を簡単に解説


ここからは、忠臣蔵の主要な登場人物について5名ほど解説します。

大石内蔵助(おおいし くらのすけ)

赤穂藩の家老で、忠臣蔵というお話の主人公でもあります。
忠臣蔵の「蔵」は、大石内蔵助の事を指しているという説もあります。
小男だった一方で家老としてはとても優秀。剣術や絵画に優れていた一面もありました。

浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)

大石内蔵助が仕えていた赤穂藩主で、本名は長矩(ながのり)と言います。
内匠頭が江戸城で吉良上野介を切り付けた事が、物語のスタートとなります。
その後すぐ切腹。35歳の生涯を閉じました。

吉良上野介(きら こうずけのすけ)

本名は義央(よしひさ)と言い、室町幕府を開いた足利家の一族の末裔でもありました。
物語では、浅野内匠頭に賄賂を要求するなど悪役として描かれています。
その一方で、新田開発や治水事業に力を尽くした優れた人物でもありました。

堀部安兵衛(ほりべ やすべえ)

赤穂浪士の1人で、47人の中でも特に人気が高い人物としても知られています。
剣術に優れており、討ち入りを主張する藩士のリーダー格でもありました。
元々は中山姓で、義父の堀部金丸(かなまる)も47人の一員として討ち入りに加わっています。

徳川綱吉(とくがわ つなよし)

「生類憐れみの令」でも知られる、江戸幕府5代目の将軍です。
湯島聖堂を建てるなどの学問好きで、幕藩体制の安定に指導力を発揮しました。
内匠頭の切腹を命じる一方で、討ち入りを評価していた面もありました。

※参照:徳川綱吉の母親の桂昌院について。妻や子供についても解説!


忠臣蔵が現在に至るまで人気を集める3つの理由とは?


忠臣蔵は現在に至るまで、人形浄瑠璃や歌舞伎、テレビの時代劇の題材として多く取り上げられている、日本人にとっては無くてはならない作品です。
それでは、この作品がここまで人気を集める理由は一体何なのでしょうか。

庶民の政治に対する不満の受け皿となったから

まず第一に挙げられるのが、この物語が庶民にとって痛快だからでしょう。

忠臣蔵の舞台となった元禄時代は華やかな文化が栄えた時代でしたが、それを享受できたのは一部の人たちであり、その他多くの庶民は生類憐みの令にビクビクしていたり悪銭の発行でインフレに見舞われていたりと、何かと不便な生活を強いられていました。

そんな庶民の不安を救い上げたのが、大石内蔵助らによる吉良邸討ち入りでした。弱者でもある赤穂浪士たちが名家でもある吉良邸に討ち入った事は、同じく強者(=江戸幕府)にいじめられる弱者としての自分と重なる部分があったのでしょう。大石内蔵助らの行動は、悪政に苦しむ彼らが日常の鬱憤を晴らす絶好の機会となり、称賛をもって受け入れられました。

四十七士が「武士道」を貫き通したから

2つ目の理由として、大石内蔵助ら四十七士の行動が、かつて戦国の世に存在した「武士道」を思い起こすものであった点が挙げられます。

元禄時代を生きる人々にとって、主君への忠義や自己犠牲の発露といった武士の振る舞いは、あくまで先代の人々から聞いたものに過ぎず、実際に生で見聞きしたものではありませんでした。

しかし、切腹される事が分かっているにも関わらず主君の仇討ちを成し遂げた四十七士を見た当時の人々は、かつて存在した武士道が現代で体現されたことに驚き、そして彼らを褒め称えました。

忠臣蔵が人気になった背景として、こうした武士道の存在も見逃せません。

物語の中にある様々な要素が人々の興味を惹きつけるから

そして最後は、物語の中にある様々な要素が人々の興味を惹きつけるからでしょう。

いまだ謎に包まれている赤穂事件の真実
・吉良邸討ち入りを成功させるまでの戦略
・脱盟した藩士の存在と、そこに至るまでの理由
・登場人物の友情や恋愛といった人間模様
・物語が問いかける「武士道とは何か」という議題


こうした物語に含まれている要素1つ1つが、忠臣蔵を見る人の心を惹きつける事は大きいと思います。
忠臣蔵は「物語」としても、非常に優れていると言えるでしょう。

ちなみに討ち入りに参加したのは47名でしたが、当初は120人以上が仇討ちへの参加表明を行っていました。なぜ彼らが脱盟したのか、個人的にはこの点に強い興味を持っています。

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この記事のまとめ


忠臣蔵のあらすじや主要な登場人物、人気の理由などを簡単にご紹介しました。

忠臣蔵は、吉良上野介を完全に悪(強者)とし、浅野内匠頭を善(弱者)のように描かれています。その物語だけを見ると、一般的には吉良に対する悪いイメージというのが浸透しています。しかし、吉良上野介は地元では名君として尊敬を集めており、現代にいたるまで吉良公を称える祭りが開催されています。

物語に描かれるということは、作り手側の立場・見方により登場人物の性格などを固定してしまいがちですが、人間の本質に迫るためには、浅野内匠頭、吉良上野介、大内内蔵助など個人の歴史やその人物が生きた時代背景などを、色眼鏡を外して多面的にみることも大切だと思います。