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歴史の教科書の江戸時代のところで出て来る近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)という人物ですが、いったいどんな人だったのかご存知ですか?「浄瑠璃(じょうるり)」という言葉も出てきますが、なんだかよくわからないですよね。

そこで、近松門左衛門がどんな人だったのかを、年表を使いながら小学生の方もわかるようにご紹介します。また、近松門左衛門の代表作も3つ見てみましょう!
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近松門左衛門ってどんな人?小学生向けにわかりやすく解説!


まずは近松門左衛門がどんな人だったのかを、小学生の方にもわかりやすくご紹介します。

近松門左衛門は「浄瑠璃」(じょうるり)と呼ばれる、歌舞伎などの劇で催される有名な音楽を作った人です。本当の名前は杉森信盛(すぎもり のぶもり)といい、「近松門左衛門」とは浄瑠璃作家としてのペンネームやハンドルネームのようなものです。

門左衛門は1653年に、越前国(現在の福井県)で武士・杉森信義の次男として生まれました。父が武士勤めを辞めたことをきっかけに、近松一家は京都に移り住みます。
青年期の門左衛門は、公家の屋敷で働きながら知識や教養を身につけました。門左衛門はこの時に身につけた知識と教養を活かし、当時京都で流行していた浄瑠璃の脚本を書くようになります。そして、門左衛門が1685年に描いた『出世景清(しゅっせかげきよ)』は、近世浄瑠璃の始まりと言われています。

1703年に上演された『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』は門左衛門の代表作として人気を集め、心中(愛し合っている男女が共に死ぬこと)が多発するなどの社会現象にもなりました。その後も『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』や『国性爺合戦(こくせんやがっせん)』といった大ヒット作を生み出し、1725年に72才で亡くなりました。
門左衛門の書き残した脚本は、現在でも映画や舞台に用いられています。

近松門左衛門の年表を小学生向けにわかりやすく解説!


ここでは近松門左衛門の年表を、小学生の方にもわかるようにご紹介します。


・1653年(0才)
越前国(現在の福井県)で武士・杉森信義の次男として生まれる。

・1664年(11才)
越前から京都へ移り住み、公家に仕えて暮らし始める。
時期は定かではないが、当時京都で流行していた浄瑠璃の語り手である宇治嘉太夫のもとに身を寄せ、浄瑠璃の脚本を書き始める。

・1683年(30才)
『世継曽我』という作品が発表される。
この作品は門左衛門の処女作と言われている。

・1685年(32才)
『出世景清』を発表。近世浄瑠璃の世界を開く。

・1693年(40才)
歌舞伎の脚本も書き始める。

・1703年(50才)
『曽根崎心中』を発表。社会現象を引き起こす。

・1715年(62歳)
『国性爺合戦』を発表。ロングヒットを記録する。

・1725年(72才)
亡くなる。
門左衛門の命日である11月22日は、近松忌、巣林子忌、巣林忌と呼ばれている。

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近松門左衛門は近世浄瑠璃の世界を開拓した人物であり、当時とても人気があった脚本家であることがわかりますね。そんな門左衛門の代表作について、次の項目でご紹介します。

近松門左衛門の代表作を3つわかりやすく解説!


ここでは近松門左衛門の代表作を、3つにしぼってご紹介します。

近松門左衛門の代表作その1 「出世景清」(しゅっせかげきよ)

平安時代末期、平家滅亡後もなお源頼朝を討ち取ろうとした藤原景清(悪七兵衛)の苦悩を描いた作品です。景清を題材とした作品は過去にもたびたび演じられましたが、義太夫節という独特の曲調を交えた新しい演出で、近世浄瑠璃の世界を作り出しました。

※参照:源平合戦をわかりやすく解説。年表や登場する女性について!

近松門左衛門の代表作その2 「曽根崎心中」(そねざきしんちゅう)

愛する女性のために結婚の話を断り、金銭トラブルを抱えてしまった男・徳兵衛と、徳兵衛の彼女であるお初が、心中という悲劇的な最後を迎える物語です。この話は当時実際にあった事件をモチーフに描かれました。門左衛門はこの作品によって「世話物」というジャンルを作り出すことに成功します。 また、心中事件が増えるという社会現象も生み出したため、江戸幕府から上演禁止の命令を出されることもありました。

近松門左衛門の代表作その3 「国性爺合戦」(こくせんやかっせん)

中国人の父と日本人の母を持つ鄭成功(国性爺)が、中国王室の復興を目指して活躍する姿を描いた作品です。江戸時代は鎖国政策により海外に関する情報や娯楽がありませんでした。そんな中、「国性爺合戦」は話の舞台が中国であったため観客の興味を引き付け、爆発的なヒットを記録しました。現在では歌舞伎の名作としても人気を集めています。

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この記事のまとめ


このページでは近松門左衛門がどんな人だったのか、年表や代表作をまじえて小学生の方にもわかるように解説しました。

近松門左衛門は京都へと移り住んだことをきっかけに浄瑠璃の世界へと足を踏み入れ、晩年に至るまで浄瑠璃や歌舞伎に大きな影響を与えた人物でした。彼の代表作である「出世景清」「曽根崎心中」「国性爺合戦」は近世文化史に大きく貢献するとともに、現在でも人形劇や歌舞伎の舞台で演じられることがあります。

学校の調べ学習や、夏休みの自由研究の題材として、近松門左衛門の作品を見に行ってみるのもいいかもしれませんね。