大坂の陣で最後を迎えた真田幸村ですが、その息子たちは思わぬ所で父の血脈を残しています。 彼の子供の真田大八(片倉守信)と娘の阿梅らは、当時敵であった伊達家の片倉重長に引き取られています。人質としてではなく、幕府に嘘をつい […]
「戦国時代」の記事一覧(8 / 15ページ目)
伊達政宗と大坂の陣。神保相茂や真田幸村との縁について解説
伊達政宗は徳川幕府側として大坂の陣に参戦し、道明寺の戦いなどで功績をあげました。 しかし、中には真田幸村との交戦を拒み、神保相茂への味方討ちを行うなど伊達政宗が名将と呼ばれるのに疑問符がつくような行動もしています。 この […]
真田幸村ってどんな人?年表や大坂の陣を小学生向けに解説!
真田幸村(さなだ ゆきむら)という人物をご存知ですか? 近年はゲーム等に登場していて、名前を知っている人も多いかと思います。 この記事では、真田幸村がどんな人だったのかを解説した年表や、幸村が活躍した大坂の陣について、小 […]
宇喜多秀家の関ヶ原での奮戦や八丈島での暮らしとは。子孫はいるの?
豊臣秀吉の秘蔵っ子である宇喜多秀家は、関ヶ原に参加した武将の中では最も長く生きました。ただ、その半数の50年間は関ケ原後に配流された八丈島で暮らしました。 関ヶ原の戦いにおいて西軍最大の軍を率いた宇喜多秀家は、関ケ原では […]
北条氏綱が北条の名字を名乗った理由は?江戸城攻略や遺言について!
後北条氏と言えば、一族の創始者である北条早雲や関東での支配を拡大した3代目の北条氏康が有名です。その一方で、2代目の北条氏綱は知らないという方もいるかもしれませんが、実はこの氏綱こそが北条家の地盤を固めた張本人であり、彼 […]
豊臣秀吉の子孫について!国松は木下延由として生き延びた?
たくさんの側室を寵愛しながらも子宝に恵まれなかった天下人・豊臣秀吉。 57歳にしてようやく豊臣秀頼を授かるものの、その秀頼は大坂の陣で最後を迎えることに。 また、秀頼の子供、国松は。豊臣家の血筋を引くがゆえに徳川方に捕ま […]
酒井忠次と家康の関係やその晩年について。子孫はいるのか?
徳川四天王の筆頭とされる酒井忠次は、家康の父、松平広忠の時代から徳川家の重鎮として戦国の世を生き抜きました。忠次は、幼少期の人質時代から秀吉との和睦までの家康の人生を語る上で不可欠な存在です。しかし、酒井忠次も晩年には家 […]
榊原康政と本多忠勝の関係や兄の榊原清政、子孫について解説
榊原康政は徳川四天王の一員として家康に仕え、その功績は現在でも讃えられています。 その徳川四天王には康政の他に酒井忠次、本多忠勝、井伊直政がいますが、本多忠勝とは同い年かつ幼い頃から家康に仕えるという共通点があります。似 […]
本多忠勝が使用した槍「蜻蛉切」について。鎧兜も解説!
徳川四天王の一人である本多忠勝は、徳川家康の家臣の中で最も武勇に優れた人物としても知られています。出陣した合戦の中で一度も負傷しなかったという逸話も有名ですね。 そんな本多忠勝が身に付けていた武具とは、一体どのようなもの […]
豊臣秀長ゆかりの城について解説。竹田城、郡山城、和歌山城
豊臣秀吉の弟として、また右腕として政務や軍事で大いに貢献した豊臣秀長。 彼の活躍なければ、豊臣秀吉の天下統一は叶わなかったとも言われています。 この豊臣秀長ですが、兄の秀吉の影響を受けたのか、藤堂高虎など築城に秀でた家臣 […]