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坂野惇子(ばんのあつこ)さんという人をご存知ですか?

2016年の朝ドラ「べっぴんさん」のヒロイン、坂東すみれのモデルとなった人物です。ベビー服メーカーの老舗ブランド「ファミリア」の創業者といえば、思い当たる節がある方もいるかもしれませんね。

この記事では、坂野惇子さんがどんな人だったのかを、年表や彼女が設立したファミリアにも触れながら、簡単にご紹介していきたいと思います!
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坂野惇子(ばんのあつこ)ってどんな人?わかりやすく解説!


まずは坂野惇子さん(以下、敬称略)がどんな人だったのか、簡単に見ていきましょう。

坂野惇子は1918年(大正7)の4月1日に、レナウン創業者・佐々木八十八(やそはち)の三女として、兵庫県の神戸市に生まれました。子供時代は裕福な暮らしを送っていたようで、1931年には甲南高等女学校(現在の甲南女子大学)に入学します。

そして、1935年(昭和10)の2月、甲南高等女学校4年生のときには、六甲山へのスキー旅行の帰りのバスの中で、将来の夫となる甲南高校1年生の坂野通夫との出会いがあり、その4年後には婚約し、通夫の卒業と就職を待って二人は結婚します。

やがて大阪商船(商船三井)に入社した通夫と惇子は1940年(昭和15)に、神戸市東灘区岡本の外国人村に新居を構えました。西洋文化に直接触れることのできる、絵に描いたようなお洒落な新婚生活ですよね。

しかし、そんな幸せな新婚生活も、戦争の暗雲によって一転します。戦後の過酷な現実のなかで、惇子たちは生計を立てるために自分で仕事を始めることに。1948年(昭和23)には、親しい友人達と生活の糧をえるために神戸でベビー洋品店を開店し、その2年後にファミリアを創業しました。

惇子はファミリアで、医学的、科学的な観点から作られた赤ちゃんの肌着やおむつなどを考案し、その普及に力を尽くしました。後年には子供服研究所を設立して、本格的な子供服の製造なども手がけています。

そして2005年(平成17)9月24日、87歳でその生涯を閉じました。

※参照:吉本せいってどんな人?夫の吉本吉兵衛や子供も解説!

坂野惇子の年表をわかりやすく解説!


坂野惇子の人生を見ていくと、戦争が1つのキーポイントだったのかなと思います。もしもこれが無ければ、裕福な家庭の奥様として一生を過ごしていたという気もします。

ここでは、坂野惇子の人生を年表を使って振り返ってみましょう。


・1918年(0歳)
レナウン創業者・佐々木八十八の三女として兵庫県神戸市に生まれる。

・1931年(14歳)
甲南高等女学校(現在の甲南女子大学)に入学する。

・1935年(15歳)
将来の夫となる坂野通夫と出会う。

・1940年(23歳)
惇子は坂野通夫と結婚し、神戸市の外国人村に新居を構える。

・1942年(25歳)
長女・坂野光子(てるこ)を出産する。

・1943年(26歳)
坂野通夫が召集され、インドネシアの首都ジャカルタに派遣される。

・1945年(28歳)
神戸大空襲により神戸の自宅が被災。
姉の疎開先である岡山県勝山町に母子で身を寄せ、終戦をむかえる。

・1946年(29歳)
夫、坂野通夫が「すみれ丸」で無事に帰国し、再開をはたす。
インフレ解消政策などの悪影響によって、暮らし向きは極貧状態となる。

・1948年(31歳)
結婚前から付き合いのある「モトヤ靴店」の店主の薦めで手芸品の販売に向けて準備を始める。
12月4日、モトヤ靴店のわずか2台のショーケースを店として、親友達とともにベビーショップ・モトヤを始める。
  
・1950年(33歳)
ベビーショップ・モトヤを発展的に解散。
3人の仲間と共に、共に株式会社ファミリアを設立する。

・1951年(34歳)
ファミリア初の直営店が、大阪の阪急百貨店うめだ本店にオープンする。

・1956年(39歳)
ファミリアが東京、銀座にオープン。
これを機会に全国展開が行われていく。

・1963年(46歳)
皇后美智子様が浩宮徳仁親王をご懐妊。
ファミリアの出産用品が利用される。

・1979年(62歳)
アメリカ、ハワイに「ファミリアUSA」が設立される。

・1992年(75歳)
ファミリアの会長を務めていた夫・坂野通夫が死去。
かわりに、坂野惇子が会長に就任する。

・2005年(88歳)
心不全でなくなる。

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坂野惇子が設立したファミリアは、1992年に「愛情品質」という製品コンセプトをうちだし、品質には絶対の自信を持ち、いい素材を用いて丁寧な仕事をするという、創業当時とまったく変る事のない方針のもとに歩み続けていくことを発表しています。創業者、坂野惇子の子供たちに対する愛情は、いまもファミリアの中に受け継がれているんですね。

このファミリアというブランドについて、以下で詳しく見ていきましょう。

ファミリアってどんなブランド?その歴史や特徴について!


ファミリアは創設から一貫して、上品で上質な子供服や子供向け用品、ベビー用品を取り扱っているアパレルメーカーで、現在では出産祝いなどの贈答品として贈られるブランドとして、その地位を確立しています。1963年、美智子様が浩宮徳仁親王をご懐妊されたを機に、皇室御用達になった事でも知られています。

惇子は1942年に長女を出産する際、外国人専門の病院でベビーナースとして勤務していた大ヶ瀬久子(おおがせひさこ、朝ドラでは谷村美月さんが演じています)から外国式の育児法を学んでおり、これがファミリア創業の基盤になったと言われています。また、その2年後には惇子は軽井沢に疎開しているのですが、この時別荘にあった荷物が戦後、貴重な財産となり、ファミリア開業の助けになったとも言われています。

ファミリアは1950年に神戸で創業され、翌年には大阪の阪急百貨店に直営店がオープンすると同時に、今日でも親しまれているシロクマの子供のイメージキャラクターが誕生します。

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※参照:www.familiar.co.jp


青の男の子の名前は「ファミちゃん」で、女の子の方は「リアちゃん」です。ぬいぐるみにもなるなど、今では広く親しまれていますよね。

そして1970年には、スヌーピーのぬいぐるみを販売することにも成功。これには、長女の坂野光子がアメリカ留学中、スヌーピーのファンになったことに、坂野夫妻が興味を持ったことがキッカケだったと言われています。

この記事のまとめ


このページでは坂野惇子さんがどんな人だったのかを、年表や彼女が設立したファミリアと共に解説してきました。

レナウン創業者の三女として生まれ、裕福な娘時代を過ごした惇子。しかし戦争によって突き付けられた過酷な現実の中で自分の生きる道を模索し、友人たちと共にベビー、子供用品メーカー・ファミリアを創業するのです。

ファミリアは創業当時から今も変らず、惇子たち創業者の精神を受け継ぎ、「愛情品質」という製品コンセプトのもとに上品で上質な製品を世の中に送り出しています。

こうして坂野惇子の人生をみていくと、べっぴんさんの放送がますます楽しみになりますね。

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