1579年に完成した、織田信長の居城、安土城。
既存の城には見られない豪華な点が特徴だった一方、城そのものは本能寺の変と共に焼失してしまい、詳細は謎に包まれています。
そこでこの記事では、安土城があった場所や天守閣、復元されない理由を中心に、この城について詳しくご紹介しています!
目次
安土城があった場所はどこなのか?
そもそも、安土城があった場所はどこなのでしょうか。
この城は1576年、琵琶湖の東湖畔にある標高約198mの安土山に築城されました。
現在で言うところの滋賀県近江八幡市安土町にあたる場所で、この地は後に秀吉の甥にあたる豊臣秀次によって大きく発展を遂げています。
※参照:豊臣秀次ホントに有能?生きていれば豊臣政権はどうなった?
安土城のあたりは琵琶湖の水運を利用して京まで出るのに便利で、中山道や北陸道にも通じています。現在は干拓や水田整備のため、岸から数km離れたかたちになっている安土山ですが、安土城があった時代は琵琶湖に突き出すかたちになっていました。
安土山のすぐ東側には、近江国の守護・佐々木六角氏が築いた観音寺城があり、信長が築城する前の安土山には観音寺城の支城(メインの城を守るための防御拠点)がありました。1568年に信長が上洛する際、このあたりの城を攻撃していくのをまのあたりにした観音寺城の城主・六角義賢は城を逃げ出しています。
安土城の築城直前、安土山の支城には六角氏の元家臣が住んでいました。元家臣は代替えの領地と引き換えに安土山を明け渡し、信長はここに五重七層の天主を持ち、石垣で囲まれた巨大な城を築きました。信長がこの場所に城を築いた背景には京の都に近かった事はもちろん、加賀の一向一揆や上杉謙信への抑えとしての目的があったと言われています。
安土城の天主閣(天主)はどのようなものだったのか?
織田信長が築いた安土城は、五重七層の天主(天主閣)と石垣を持ち、麓に「城下町」を計画的に配した「私たちがイメージするお城」の先駆けと言える城でもあります。(現地の案内板や安土城に関するさまざまな書籍では、安土城の天守閣は「天主」と表現されています)
それでは、安土城の天守閣はどのようなものだったのでしょうか。
安土城の天守(天守閣)などの主要な建物は、1582年の本能寺の変後、焼失してしまいました。
どんな天主だったのかを示す絵図は残されていないものの、ルイス・フロイスの『日本史』や信長の家臣だった太田牛一の『安土日記』に当時の様子が記されています。
外観と内観に分けて、簡単に見ていきましょう。
安土城の天守閣の外観について
安土城は地下1階、地上6階の6階建てで、その高さは35m程でした。
城の外観は、階層ごとに壁が塗り分けられているのが特徴です。黒い漆塗りの窓が配された白壁の層や、赤く塗られた層、青く塗られた層がある他、最上階は金色になっています。
瓦は青く見え、前列の瓦には丸い頭がついています。
屋根には雄大な怪人面がついているのが特徴です。
安土城の天守閣の内観について
この城の内部は、1階から3階までの各階に、6畳から12畳の部屋が複数あったと言われています。壁には花鳥や中国の故事を題材にした絵が描かれていたとされています。
ただし、4階には絵が描かれていなかったのだとか。
5階は八角形の形をしていて、外側の柱は赤色、内側の柱は金色でした。壁には釈迦が説法をしている絵が描かれている他、部屋の周囲を囲む縁側には、鬼や餓鬼の姿もあったそうです。
そして6階は、3.3m×3.3mの広さでした。部屋の壁は金色で、外側に手すりがあった他、扉には鉄を張り、漆が塗られていたそうです。壁には狩野永徳が描いた中国神話の帝王や孔子、七人の賢人などの絵が描かれいました。
外壁が白と赤と青と金って、すごく派手ですね。仲も絢爛豪華な絵が壁を飾り、5階は八角形という特異な形。6階は金ぴかの部屋だというから驚きです。
城は本来、戦のための防御施設ですが、安土城は「見せる」ことを意識した城といえます。
安土城の天守閣(天主)が復元されない理由とは?
このような立派な天守が築かれていた安土城。
しかし、現在に至るまで復元されないのは何故なのでしょうか。
現在、安土城があった場所には、石垣や天主台(天主が建てられた場所)が残っているだけです。安土城跡は国指定特別史跡に指定されているため、復元には条件が必要です。その条件を満たさない限りは天主を復元することはできません。
「だったら条件を満たして大坂城のように復元すればいいのでは?」と思う人もいるでしょう。復元であっても、当時の様子を見てみたいと考える方もいると思います。しかし、安土城跡は国指定の特別史跡に指定されているため、復元には大きなハードルがあるのです。
現在、国指定の特別史跡に復元をするには、当時の工法で確実な史料に基づいていなければなりません。「当時の工法」とは、いわゆる木造建築の事です。
また、建築基準法で木造の高層建築物は建てられないことになっています。
安土城と同様、国指定の特別史跡に指定されている大坂城跡には、コンクリート造りの天守閣が建っていますが、1931年の築造で文化財保護法ができる前の建築物です。
コンクリート造りの天守閣も、国の登録有形文化財です。
さらに、先ほども説明したように安土城には確実な設計図などがありません。
こうした事情から、安土城跡に天主を復元するのは難しいのです。
この記事のまとめ
安土城の場所や天守閣、復元されない理由などを解説しました。
現在、天主へ向かう大手道や、その両側にある家臣団の屋敷跡が整備され、「幻の城」に思いを馳せながら天主台まで歩くことができるようになっています。
近くには「滋賀県立安土城考古博物館」や「安土城天主信長の館」など関連施設もあるので、安土城跡を見に行く際は、あわせて訪れてみるのもオススメです。
近江八幡市に生活している者です。安土城は日本の宝と思いますのでどうかして図面を探して再建していただきたいものです。そのため一市民として、再建寄附もいたします。
「復元できない理由」で補足いたします。建築基準法第三条、文化財保護法の適用建築物は、木造高層建築物として「再建可能」ですが、残念ながら安土城は当法律適用時存在せず、「再建」には当たらないとも考えられます。高層木造天守の再建で、例外として唯一「大洲城」は1888年に天主が破却されましたが、紆余曲折があったものの、2004年再建を果たしました。
尚当地域は、琵琶湖国定公園内の第一種特別区域でもあり、現景観保護に対する許可が出されるかどうかもハードルです。最後に、私有地である為、土地所有者(摠見寺)がどう考えるか、ですね。
復元できない理由を聞いても、正直、全然腑に落ちないです。
あるべき姿は、現状のまま、でしょうか。
私の勝手な意見かもしれませんが、現在の遺構(石垣など)を見て、「これでいい、大変満足、天主は無くてもいい」という意見は少数で、「天主も出来ればあった方がいい」と思う人が大方ではないでしょうか。
熱意があればクリアすべきハードルはクリアできると思うし、必要であれば法令等ルールは議論の上で改正も出来るのではないでしょうか。
まずは、「天守を復元したい」という熱意が国民にあるか、だと思います。
確かどこかヨーロッパ諸国の博物館に安土城の図面が発見され展示されている話を聞いてますし
木造が駄目でも三重県伊勢にあるような安土城は建設出来るのでは?
木造であっても伊賀上野城のように法律規定内にサイズを小さめに作れば良いのではないでしょうか?
そもそも、天守閣再建にあたって署名運動も殆どなく現在まで天守閣が再建に至っていないのはそこまで再建する意欲は市民や国民に無い気がします
名古屋城は木造再建を進めていますが元々、安土城があった場所に安土城天守閣を再建して欲しい方の声が殆どないが為に再建出来ないのが理由なのではないでしょうか。
市民活動が活発なら全国的にも応援や協力を惜しまない気がしますが…
もし、市民の中で団体を作って再建を目指すというなら私は協力しますよ
先日、安土城跡を訪れましたが、天主や本丸の復元は必要でしょうか?礎石が当時のままに現存していて、あれはあれで想像力を掻き立てられました。
名古屋城の本丸御殿は復元されていますが、やはり昔風の建物にしか見えません(実際、消防設備がむき出しになっていたりして、興醒めしてしまいます)。
復元すると観光客がどっと押し寄せて、今の上りにくい道も整備されてしまうのでしょうか・・・
信長はキリシタンでバテレンだった。ゴッドをまつっていたから公開できないのです。出口王仁三郎の証言です。
天主閣の由来
或る日、出口王仁三郎師は長田氏に向つて、
『織田信長が近江の安土の城を築いてゐた頃、日本ヘキリシタン・バテレンが渡つて来てゐた。
その頃では織田信長は、非常にモダンな男で、新らしがりやであつたので、キリシタン・バテレンを崇拝してゐた。そこで信長は城の一番上の建物に、キリシタン・バテレンの神様であるゴツドを祭つてゐた。そのゴツドの事をそのころ日本名では天主といつてゐた。天主を祭つてゐる建物といふので天主閣といふのである』
と説明した。
(昭和七・八・一五 同七年八月号 昭和青年誌)
現在2019年11月ですが、先日安土城跡を訪れて来ました。
色々な文献や記録があるようなので、一概には正しいと言えないと思いますし、ただの私見ですが、生前の信長様は派手好きで賑やかな事が割とお好きだったように思います。
安土城が再建されてもっと多くの人々が訪れるようになればとてもお喜びになるのではないだろうか、等と思っています。
私自身もそのようなことになれば、ワクワクしますし、必ずまた行くと思います。
今のままでは寂しすぎて悲しくなってきます。
どうか有力な資料が見つかりますようにお祈りしています。