江戸幕府3代将軍である徳川家光とは、一体どんな人だったのでしょうか。
自由研究や調べ学習でまとめる必要がある場合もあるかもしれませんね。
このページでは、徳川家光の年表や島原の乱などを小学生向けにわかりやすくご紹介します。
徳川家光ってどんな人? 家康を尊敬していた?
徳川家光は1604年に産まれました。家光は戦国時代が終わり、江戸幕府が始まった後で生まれた「生まれながらにしての将軍」として、200年以上続く江戸時代の基礎をきずいた人物です。
徳川家光のおじいさんは、江戸(今の東京)に徳川幕府を開いた徳川家康です。このおじいさんの事を、家光は生涯にわたって尊敬していました。そのため、家康の21回目の法要をきっかけに、今の栃木県にある日光東照宮という家康をまつる神社の大改修を行っています。その時の大改修によって、現在に伝わる華麗な社殿が出来上がりました。遺言でも、死後はおじいさんの側にいたいと言い、この場所に自分のお墓をつくらせています。
その一方で、お父さんで江戸幕府2代目の将軍である徳川秀忠と、お母さんのお江の方とはあまり仲が良くなかったと言われています。この2人は家光より、家光の弟である忠長(ただなが)をかわいがっていました。一時期はこの忠長が家光の代わりに将軍になるのではと言われていましたが、家康の判断によって家光が将軍になったというエピソードがあります。
家光は1623年に将軍になってから1651年に亡くなるまで、平和な世の中を作りたいと願っていた家康の意思を引きついだ政治を行いました。
※参照:徳川秀忠の妻について。江との夫婦仲や側室の存在は?
徳川家光の年表を小学生向けにわかりやすく解説!
ここからは徳川家光の年表を、小学生の方にもわかるようにご紹介します。
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・1604年
家康の子供である徳川秀忠の次男として誕生します。
・1606年(3歳)
家光の弟の徳川忠長(ただなが)が生まれます。
徳川秀忠は忠長をかわいがり、お世継ぎ争いにまで発展します。
・1616年(12歳)
尊敬するおじいさんの徳川家康が亡くなります。
・1623年(20歳)
徳川幕府の第3代将軍になります。
・1625年(22歳)
公家出身の鷹司孝子と結婚します。
家光と孝子は仲が悪く、子供にもめぐまれませんでした。
※参照:徳川家光の妻について解説。男性との恋愛エピソードも!?
・1632年(29歳)
父の徳川秀忠が亡くなり、本格的に政治を行うようになります。
・1635年(32歳)
武家諸法度を改定して、大名に参勤交代を義務付けます。
(以下で詳しくご紹介します)
・1637年(34歳)
天草四郎らによる島原の乱がおこります。
(以下で詳しくご紹介します)
・1641年(38歳)
長崎の出島以外で海外との貿易を禁止し、鎖国が始まります。
例外として中国とオランダだけは鎖国を許されました。
(以下で詳しくご紹介します)
・1651年(48歳)
徳川家光がなくなります。
後を長男の徳川家綱(いえつな)が継ぎました。
徳川家光の時代におきた出来事を3つ紹介!
ここからは、徳川家光の時代におきた出来事を3つご紹介します。
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・武家諸法度と参勤交代
武家諸法度とは日本中の武士が守る決まりを定めたもので、家康によって江戸幕府を長く続けていくために作らました。
家光は、この武家諸法度をさらにしっかりしたものにします。「参勤交代」とよばれる、全国の大名を1年おきに江戸城に行き来する仕組みをととのえて、大名にお金を使わせて幕府に逆らわないようにしました。
・島原の乱とキリスト教の禁止
島原の乱とは、豊臣秀吉や徳川家康の時代に禁止されたキリスト教を信じる人たちが、天草四郎という人物をリーダーとして起こした反乱のことです。
この頃、今の長崎県では江戸幕府による取り立てがとても厳しかったと言われています。
この状況を何とかしようと、3万人以上の農民たちが天草四郎という少年をリーダーにして江戸幕府へ反乱を起こしました。幕府はなんとかこの反乱をおさめると共に、その原因となったキリスト教の取り締まりをより強めました。
※参照:天草四郎ってどんな人?年表や島原の乱をわかりやすく解説!
・鎖国
鎖国とは、江戸幕府が定めた外国との貿易や交流を制限する決まりのことです。
日本にいたキリスト教を広めるポルトガル人を追放する一方で、中国や朝鮮半島、オランダとの貿易は長崎につくられた「出島」という場所で続けられました。
この記事のまとめ
徳川家光という人物の年表や島原の乱について、小学生の方にもわかるように解説しました。
家光の時代は、戦争が続いた戦国時代が終わり、日本中がようやく平和になろうとしていた時期にあたります。
家光と徳川幕府が頑張った結果、島原の乱の後では日本で戦争はおこらなくなり、平和な世の中が訪れました。
楽しく読ませていただいてます。
徳川家康の死去ですが1616年(大阪夏の陣の翌年)ではなかったでしょうか。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。訂正させていただきました。
今後も宜しくお願いします!
いつも読ませていただいてます。歴史が好きなのですがこれを読んでいつも勉強しています!