大坂の陣といえば、豊臣家の滅亡!!
でも、豊臣家の最後ののちに、淀殿の生存説もじつは伝えられているんですよね~。
これは本当なのでしょうか!?
大坂の陣における淀殿の行動やその最後を検証しながら、その2つの生存説に迫っていきます!
大坂冬の陣における淀殿の行動を検証!
1600年の関ヶ原の戦いのあと、徳川家康の優勢は圧倒的なものとなり、豊臣家の領地も家康によって大幅に減らされ、大坂65万石のみの百万石にも満たないフツーの大名に格下げ!
この待遇に誇り高い淀殿が我慢できるはずはありません。
徳川秀忠が徳川幕府の二代将軍に即位し、幕府の世襲による存続が明らかになると、「天下の豊臣家をさしおいて何事か!」と激怒した淀殿は全面戦争の構えをみせます。
そして、方広寺の鐘銘事件によって片桐且元が和睦案を持ち帰ると淀殿は且元を裏切り者呼ばわりして、1614年、ついに大坂冬の陣が勃発します。
淀殿はみずから武装して陣頭にたち、閲兵や指揮をとり奮闘しますが、大坂城の象徴ともいえる天守閣が砲撃を受け、侍女が8名も亡くなってしまいます。
かつては「この城は10年でも持ちこたえられる!」と強気の淀殿でしたが、この事がとても怖かったのか、やむなく講和に応じることになってしまいます。
大坂夏の陣と淀殿の最後について
講和の条件として城の堀も埋められてしまい、ハダカ城となった大坂城。
そして1615年、徳川家康が決着をつけるべく再び大坂城を攻めます。
大坂夏の陣における淀殿の行動は、冬の陣で将兵を激励したなどのエピソードは伝わっていないようです。
恐怖で何も出来なかったのかのかもしれませんね。
当然のことながら敗北は必死の戦いとなり、家臣の大野治長は淀殿・秀頼親子の助命を願って、徳川家から秀頼に嫁いでいた千姫を大坂城外に脱出させます。
そして淀殿・秀頼親子は天守閣の北にある山里曲輪の土蔵に身を隠しますが、この土蔵にも銃弾が打ち込まれたことで、もはや交渉の余地は無し、と悟り、1615年6月4日、淀殿・秀頼親子と最後まで付き従った大野治長、毛利勝永らは共に自害して果てます。 淀殿は享年49才。
※参照:毛利勝永の大坂の陣における活躍について。妻や子孫も解説!
人生50年、と言われた時代ですから、激動の生涯を自分らしさを貫いて、生ききった人生と言えるのではないでしょうか。
実は、淀殿には生存説が2つも・・・?
その一方で、淀殿には生存説もあるんですよね。
というのも、大坂城は焼失し、遺体も確認できず、自害を目撃した記録も残っていないから・・・。
歴史のミステリー、判官びいきなど「こんな素敵なヒロイン、どこかで生きていて欲しい!」と願う民衆の想いが生んだ都市伝説なのかもしれませんね。
淀殿の生存説は2つあり、ひとつは九州の大名・島津氏を頼り薩摩に落ち延びたというもの。
薩摩に落ち延びた~、という逸話は、秀頼や真田幸村の生存説としても有名なんでご存知かもしれませんね。
※参照:豊臣秀頼の評価は凡庸か?墓が鹿児島にある理由について!
もうひとつは上州の厩橋まで逃れてきたという説で、前橋市の近くに淀殿を祀った淀君神社があるそうです。
この地域の総社藩主である秋元長朝が淀殿を保護して自分の領地に連れ帰ったと言われています。
その後の淀殿ですが、秋元長朝に言い寄られた事が苦痛で利根川に身を投げたとか、あるいは普通に上野国で暮らしたとも、色々な説があるようです。生存説と言うと長生きしているイメージがありますが、淀殿の例を見ていると、必ずしもそうとは言えないんですね・・・
実際は大坂城で自害していたのだとしても、淀殿を祀った神社がある、というのはなんだかほっとしますね。
この記事のまとめ
大坂の陣では淀殿は誇り高く陣頭指揮をとり戦いました。
淀殿の最期は落城とともに潔く自刃と伝えられています。
でも、じつは二つの生存説も伝えられていて、歴史ミステリーとなっています。
ドラマチックな出来事が盛り沢山の戦国時代の中でも、淀殿のエピソードは華麗で誇り高く、悲運のセレブ的ムードが人気の理由なのでしょうか~。
歴史って昔のことなんだけど、そこで生きていた人達のドラマは現代と通じるところが沢山ありますよね。
ちなみに以下の記事では「淀殿の性格」について解説しているので、興味があればご覧になってみて下さいね。
※参照:淀殿の性格や悪女と呼ばれた理由とは?淀君の意味も解説!
ガラシャは38歳で家来に胸を突かせて死んだことになっていますが、実際にはかなり長生きしました。屋敷に火を点けたのは遺体がないことを知られないためです。史実にはコンスタンチン牧師が焼け跡から骨を拾って埋葬したとありますが、火事場に黒焦げの死体はあっても骨はないと思います。一計を案じて逃がしたのはこのコンスタンチン牧師です。死んだことにして逃がしたというのが正解ではないでしょうか。九州地方か伊豆辺りかと思います。淀殿もそうでしょうね。人間、そう簡単に死ねるものではないと思います。歴史はなんでも美化しますが、切腹したことにして、逃げ延びた武士も多いと思います。それが現実でしょうね。