中学校や高校の古典や歴史の授業で、しばしば登場する歌人、小野小町。
しかし、本来、彼女が有名なのは、その容姿ではなく、その詠んだ和歌の秀逸さゆえ。
平安時代を代表する歌人であった小野小町の詠んだ和歌は、多く残されています。
けれど、その本人のことは、とても謎が多く、特にその晩年や、お墓の場所など諸説あるとか。
今回は、謎多き絶世の美女・小野小町が詠んだ和歌をはじめ、その晩年や墓所と共にご紹介してみたいと思います。
恋多き美女・小野小町の詠んだ和歌とは
平安時代を代表する女流歌人、小野小町。
小町が詠んだ和歌は、とても女性的な華やかさに溢れ、また、恋愛感情に富んだ作品が多いことでも有名です。おかげで、彼女自身も美しく恋多き女性であったのでは、とされています。
それでは、中でも特に有名な和歌をご紹介してみます。
「いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る」
※現代要約
「どうにも恋しさに堪えられない時は、
せめて夢で逢えるよう夜の衣を裏返して着るのです」
この当時、「夜の衣(:寝るときに掛ける衣)を裏返しに着ると、夢で恋しい人に会える」という俗信があったとか。まるで「恋のおまじない」ですね。
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
※現代要約
「春の長雨が降っている間に、
美しく咲き誇っていた花も色褪せてしまったわ。
そう、私も花と同じく衰え老いてしまったの」
花に自身を投影しているわけですね。
自分が美しいと自覚していなければ、早々できない芸当ではないでしょうか。
「わびぬれば 身を浮き草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思う」
※現代要約
「侘しく寂しい日々を過ごしていますから、
根を絶った浮草のように、私も誘う水に流れてみようかしら」
交流のあった文屋康秀から、自分の任地へ来ないかという誘いの和歌が届いたときに、その返歌として小野小町が詠んだ和歌なのだそう。
一見、誘いに乗ったように見えますが、実際には行かなかったみたいです。こんな大人の駆け引きの和歌を詠めちゃうところが、恋多き女性と呼ばれる所以なのかもしれませんね。
天才女流歌人・小野小町の晩年はどのようなものだったのか
恋多き絶世の美女。そして、天才女流歌人と持て囃された小野小町。
しかし、その晩年といえば、伝えられている諸説からすると、あまり良いものはありません。
たとえば、深草少将との悲恋物語。
有名な「百夜通い(ももよがよい)」のお話でしょう。
百夜通い、その愛を証明してくれたら受け入れるという小野小町に、深草少将は頑張って通い始めます。しかし、九十九日目の夜、深草少将は行く途中に亡くなってたどり着けなかったため、小野小町はその後は愛を信じられなくなり、生涯独身となった、という物語です。
その他にも、小野小町が没したとされる各地に残る小野小町の姿。
これが、どれも醜く老いた老婆の姿で伝えられています。
そして、小野小町の辞世の句だとされる壮絶な和歌。
「我死なば 焼くな埋ずむな 野にさらせ 痩せたる犬の腹を肥やせよ」
※現代要約
「自分が死んだら、焼いたり埋めたりせずに、野に晒すように。
やせ細った犬に食わせてやればいい」
上でご紹介した華やかな作風とは全く違うことに驚きですね。
小町がなぜ、このような考えを持ったのかは分かりませんが、そう思わせる何かがあったのではと想像させます。
こうやって小野小町の晩年は、華々しいものとは隔絶した諸説が伝えられています。
しかし、実際のところは謎が多く、不明なままです。この伝えられている内容も、小野小町に嫉妬した者が勝手に作り上げたのでは、と言われていたりもするくらいですから。
謎多き小野小町のお墓の場所はどこなのか?
生まれた年も場所も、晩年を過ごした場所や亡くなった年も不明という小野小町。
系譜を辿ると、お祖父さんが小野篁で、お父さんはその息子の小野良真ではないかとされていますが、それ自体も本当なのか解明されていないのだそうです。
そんな謎多き小野小町ですが、お墓があった場所も正確には分かっていません。
一応、お父さんの小野良真が出羽国(今の秋田県)で役人をしていた事から、小町も秋田県で生まれたという説はあります。秋田県と言えば「あきたこまち」というお米が有名ですが、その名前の由来はもちろん、小野小町その人です。
小野小町の最後ですが、故郷に帰る途中、宮城県の大崎市で亡くなったと言われています。
この地に小野小町のお墓は残されているのですが、他にも小野小町のものとされるお墓はなぜか日本全国に残されています。それこそ東北の宮城、福島から始まり、栃木、茨城などの関東地方。中部の愛知や近畿の京都、和歌山、滋賀。鳥取、岡山や山口などの中部地方まで、挙げたらキリがありません。
ただ、小野小町の生きた当時は、まだ風葬も当たり前にあった時代でもあるので、お墓自体ないのでは、という説もあるようです。
この記事のまとめ
小野小町の詠んだ和歌をはじめ、その晩年やお墓の場所についてもご紹介しました。
「絶世の美女」とも言われる小野小町ですが、彼女自身は多くの謎に包まれています。
おかげで、小野小町という人物自体が架空の存在なのでは、と囁かれる始末。
しかし事実、現代にまで彼女が詠んだ和歌は伝え続けられ、またそれに惹きつけられている多くの人々がいるわけです。
何せ、聡明でミステリアスな女性というのは、今も昔もモテる傾向にありますからね。
その謎の多さも、恋多き絶世の美女と呼ばれ続けた小野小町ならではの魅力と言えるのかもしれませんね。
※参照:在原業平に妻はいた?藤原高子や小野小町との関係について!