紫式部が書いた長編作「源氏物語」
日本の文学作品の中で、これだけ有名な物語はありません。
そして、その「源氏物語」には、物語を美しく彩る和歌が登場します。その数、七九五首。
源氏物語の中で詠まれた、おおよそ八百首もの和歌。この和歌の存在は、その場面の情景や登場人物の心情を、より鮮明に伝えてくれるものとなっているのです。
そこでこのページでは、源氏物語の和歌の中で、代表的な場面の情景を色濃く表した有名な作品を5点、その意味と共に解説してみたいと思います。
目次
(その1)光源氏が初恋の相手・藤壺へ贈った和歌
源氏物語は、主人公・光源氏の恋物語です。
光源氏は、それはそれは女性にモテたそうで、自身もまた恋多き人。
その光源氏の初恋のお相手は、お父さんである桐壺帝の後妻、「藤壺の宮」でした。
藤壺の宮は、父親の奥さん、つまり光源氏の義母にあたるわけで、いわゆる禁断の恋でした。
そんな藤壺の宮に詠んだ和歌の一つが、こちら。
「物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや」
この和歌を簡単に訳してみます。
「あなたを想い、舞うこともやっとという私の心をご存知でしょうか。
あなたへと振る袖の心を知らないわけではないでしょう」
光源氏は、藤壺の宮が出席する宴で舞を披露することに。
そして、その宴の後、藤壺の宮にこの和歌を贈りました。
この「袖を振る」というのは、当時の愛情表現だったそうです。つまり、さっきの舞は、あなたのために袖を振っていたのですよ、とアピールしているわけですね。
因みに、この前の段階で光源氏と藤壺の宮は、関係を持ってしまっています。
しかも、すでに光源氏の子を身ごもってしまっているという状況。
きっと光源氏とは反対に、藤壺の宮は、ハラハラドキドキものだったでしょう。
※参照:紫式部ってどんな人?年表や源氏物語を小学生向けに解説!
(その2)光源氏が若紫(紫の上)に出会ったときに贈った恋文
恋多き光源氏のお相手として有名なのが「紫の上」です。
源氏物語の第二の主役といっても差し支えない存在です。
光源氏と紫の上の歳の差は。八歳から十歳くらい。
二人が出会ったのは、紫の上がおそらく八歳のときというから驚きです。
そんな八歳の娘さんに贈った恋文が、こちら。
「面影は 身をも離れず 山桜
心の限り とめて来しかど
夜の間の風も、うしろめたくなむ 」
簡単に訳してみます。
「山桜のようなあなたの美しい面影が私の身から離れません。
私の心の全てを置いて留めてきたのですが、
夜風にて花が散るのではと心配になります」
偶然見かけた紫の上に一目惚れし、忘れられないという和歌。
そして、この「花が散る」というのは、山桜に見立てた紫の上が、他の誰かに引き取らるということを指しています。
つまり、手に入れたいけど手に入れられない現状。
けれどその間に、誰かに取られてしまわないかと不安になっているわけです。
この和歌があることで、紫の上に対する光源氏の心情がよく伝わってきますね。
(その3)光源氏が明石の君へと詠んだ恋歌
源氏物語では、数多くの光源氏の恋のお相手が登場します。
そして、その中でも、「藤壺の宮」「紫の上」に次ぐ三番目に有名な女性が「明石の君」です。
明石の君は、光源氏の子を産む女性ですが、妻としての地位は「紫の上」「花散里」に次いで三番目という立ち位置でした。
その「明石の君」と出会ったときに贈った和歌が、こちら。
「むつごとを 語りあはせむ 人もがな 憂き世の夢も なかばさむやと」
この和歌を簡単に訳してみます。
「あなたと睦まじく語り合えることができたのなら、
きっとこの憂き世の辛い夢も、半分ほどは醒めるのではないかと思います」
光源氏は、異母兄である朱雀帝に嫁ぐはずだった朧月夜と関係を持ってしまい、異母兄の母に激怒されます。そのため、光源氏は自粛して自ら京を出て須磨へ、そして明石へと流浪することに。そこで出会ったのが、明石の君。
そんな辛い日々の中だからこそ、明石の君が必要だと口説いているわけです。
自粛すると言っておきながら、その先で女性を口説いてる光源氏。
物語上、仕方ないのかもしれませんが、全然反省してませんよね。
(その4)病床の紫の上が詠んだ和歌とそれに対する返歌
光源氏に見初められ、妻として不動の地位を確立していた紫の上。
歳の差からすると、光源氏よりも若いはずですが、病によって倒れてしまいます。
そんな病床の紫の上が、最期を予感して詠んだ和歌が、こちら。
「おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るゝ 萩の上露」
和歌の意味はこちらです。
「起きてはみるけれど、もうこの命が消えるのは、しばらくの間でしょう。
ともすれば、風に乱れる萩の葉の上にある露のごとく、先は儚いものです」
取り乱すことなく、もうすぐ潰えそうな命だと、静かに告げる紫の上。
そんな和歌に対し、光源氏が返した和歌がこちら。
「ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後れ先だつ ほど経ずもがな」
「ともすれば我先にと争うように消えていく露のような儚い世です。
だからせめて、どちらかが遅れ残されたり、
先立ってしまったりせず、一緒に消えたいと思っているのです。」
どうか一人残さないで欲しい。
和歌を詠みながら、光源氏は拭うことができない涙を流します。
そんな別れの場面に詠まれた、美しくも儚い和歌。
それが、更に切々とした雰囲気を伝えてくるようです。
(その5)光源氏が亡くなった紫の上を想い詠んだ和歌
最愛の妻、紫の上を亡くした光源氏。
彼はその後一年間、ずっと紫の上を想い、涙するという苦しい日々を過ごすことになります。
その最中に詠んだ和歌が、こちら。
「大空を かよふまぼろし 夢にだに
見えこぬ魂(たま)の 行く方たづねよ」
この和歌の意味を簡単に訳してみると、以下のようになります。
「大空を自由に翔ける幻術士よ。
夢にも姿の見えないあの人の魂の行方を捜してきておくれ」
この和歌を詠んだ光源氏は、一年間、他の女性のことは考えず、また、誰と会っても紫の上を思い出すという日々を過ごします。
その間、ただひたすらに紫の上を想う光源氏の心がよく伝わってくる和歌ではないでしょうか。
今回のまとめ
今回は、源氏物語における有名な和歌をご紹介しました。
主人公、光源氏の恋物語ともいえる源氏物語。
その物語に登場する和歌は、そのときどきの心情や情景をとても鮮明に伝えてくれます。
勿論、その和歌がなくとも物語は読めます。
しかし、和歌に込められた想いを読み解くことで、それが物語を色鮮やかに、また深く趣のあるものにしてくれているのではないでしょうか。
これ以外にも、数多くの和歌が登場します。もし源氏物語を読まれるのであれば、その中に登場する和歌も、是非、注目してみてください。きっと、より物語を楽しめるはずです。
※追記:2019年1月16日
源氏物語関連で新たな発見がありました。江戸時代に描かれた「盛安本源氏物語絵巻」という絵巻物の1つで、登場人物の夕顔の最後の場面を描いたものがフランスで見つかったそうです。フランスのコレクターが購入後、日仏両国の美術史家の方が調査した上で確認できたのだとか。源氏物語絵巻の作品は多々ありますが、こうした不幸な場面を描いたものが発見されるのはとても珍しいそうです。これを機に、また別の発見があるのかどうか、期待したいですね。