学問の神様として有名な菅原道真公。
受験シーズンには、天満宮や天神様へ合格祈願のお参りをする受験生の姿が多く見られます。
因みに、私も受験生時には湯島天神にお参りしたことがあります。

さて、現代では受験生の味方となっている菅原道真公ですが、そもそもなぜ「学問の神様」と言われるようになったのでしょうか。

道真公ご本人の学力についてもご紹介します。

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菅原道真が「学問の神様」になった理由とは?


学問の神様として有名な菅原道真公。
しかし彼は、貴族としての右大臣にまで昇進した政治家でもありました。


そんな菅原道真がなぜ、学問の神様となったのか。

幼い頃より神童と称され文武両道に秀でたという菅原道真は、人格的にも清廉潔白な人物で多くの民にも慕われた人だったとされています。

けれど当時、醍醐天皇の時代、右大臣だった菅原道真に、突如として降格と太宰府へ左遷という処罰が下ります。
醍醐天皇を廃そうとしているという覚えのない疑いが、菅原道真にかけられたのです。

疑いが晴れるのを静かに待っていた菅原道真でしたが、その願いは叶わないまま謹慎していた大宰府で亡くなります。

しかし、ここから不思議なことが始まります。
まず、菅原道真の左遷を企てたとされる藤原時平が30歳の若さで病死します。
その後、時平の息子も急死。

道真の左遷を企てた者たちが会議していた清涼殿には落雷があり、それを目撃した醍醐天皇も病床に臥せると三か月後に死去。
菅原道真を陥れたとされる者たちが、次々に落雷や病で亡くなるのを見た朝廷は焦りました。


これは、菅原道真の怨霊の仕業だ。
祟りを治めるためにも無罪を晴らし、神社に祀ろうということになったのです。

そして雷を落とすということは雷神、つまり天神なのではという当時の人々の推測から、菅原道真は「天神」として天満宮に祀られることになりました。

そして後世になると「怨霊」というより学問を極めた人物」という側面がクローズアップされ、現在では「学問の神様」と呼ばれるようになったそうです。

学問の神様「菅原道真」の学力とは如何ほどのもの?


「学問の神様」として全国に祀られている菅原道真公ですが、ご本人の学力はどの程度だったのでしょうか。

実は、これがとんでもないものでした。


菅原道真は幼い頃より神童と称され、最年少ともいえる年齢で文章生になったりしています。
因みに文章生とは、定員数の決められた中央官吏の養成学校。
つまり、学問を極めようというエリートたちが通う学校です。

そんな文章生に最年少で合格した菅原道真公は、その後も勉学に励み、870年には「方略式」という難関試験を26歳で受験します。
この試験は、始まって以来、約230年間で合格者はたったの65名というほどもの。


そんな中、気になる菅原道真公の学力結果は「中の上」でした。
方略式の合格最低ラインが、「中の上」ということなので、道真公はぎりぎり合格です。

しかし、この方略式の査定結果ですが、受験生のほぼ全てが「中の上」という結果らしいので、これ以上の結果をつけること自体がなかったのかもしれません。

その証拠に、菅原道真公は33歳で学問の最高位である文章博士になっています。

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菅原道真が受けた方略式の問題「地震」に対する解答とは


菅原道真が受けた方略式。
この方略式の試験問題は、わずか2問でした。

そのうちの1つが、地震についてでした。


何故、地震のことが問題に出たかといえば、前年には現在の宮城県で大津波、そのまた前年には京都でマグニチュード7以上の大地震があったそうです。

つまり、時事問題ですね。


地震とは何なのか、その起きる原因は何か
このような問題に対し、菅原道真は儒教、道教、仏教の3つを駆使して論じてみせました。

しかし、菅原道真のその回答に対する試験管のコメントといえば「色々上手く綺麗にまとめているようだが、こじつけに過ぎない」との酷評でした。


いくら道真公が地震について深く考察しても、地震の存在や原因が何たるかは、当時はよく分かっていなかったため、答えることができなかったのでしょう。

そのため菅原道真の回答は、どうしても思弁的なこじつけのものになってしまったようです。

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この記事のまとめ


学問を極めた菅原道真ですが、政敵に嵌められて最期は転落人生。
その死後、落雷や病により、次々と菅原道真を嵌めた人物が亡くなり、その祟りを恐れた人々は菅原道真を天神として祀ることにします。

後世では、菅原道真が学問を極めていた人物であるということから、怨霊ではなく学問の神様として伝えられるようになりました。


そんな菅原道真の学力は、優秀の一言。学問の神様というだけあって、その残した功績は素晴らしく、難関試験を次々とパスして学者のトップに上り詰めた人物でした。

その一方で、菅原道真に出された試験問題「地震」についての回答は、持てるだけの知識を駆使したものでした。時事問題とはいえ、時代的に地震の存在もそのメカニズムもよく解明されていない中、頑張って回答した菅原道真は凄いと思います。



ちなみに、以下の記事では菅原道真のプロフィールについてわかりやすく解説しています。
「菅原道真ってどんな人だっけ?」と思ったあなた、この記事を見て道真の生涯を振り返ってみましょう!

※参照:菅原道真のプロフィールと年表を小学生にもわかりやすく解説