平安時代の終わりごろ、貴族にかわって源氏や平氏などの武士が力を持つようになります。この時代、特に有名なのが、平氏のリーダーであった平清盛という人物です。
平清盛とは一体どんな人だったのでしょうか。
清盛の年表や源平合戦などを小学生でもわかるようにご紹介します。
平清盛ってどんな人?小学生でもわかるように解説!
平清盛は、もともと貴族の領地を守る平氏(へいし)という武士たちの棟梁(とうりょう、今でいうリーダー)でした。
清盛は、1118年に平忠盛(たいらの ただもり)の長男として生まれ、保元・平治の乱でライバルの源氏をおさえて中央の政治のせかいへ進出し,1167年に太政大臣になります。自分の平氏一族を朝廷の偉い位につけ,西日本に500あまりの荘園をもつようにもなります。
また、お隣の宋(そう、今の中国)との貿易に積極的にとりくみ,大輪田泊(現在の神戸港)をととのえ、たくさんの船が瀬戸内海を行き来するようになりました。
清盛は、藤原氏などの貴族と深い関係をむすぶことで、大きな力をもつことになります。
1178年には、高倉天皇にとつがせた娘の徳子が安徳天皇を産んだので、天皇のおじいちゃんという立場になりました。2年後には、天皇家のトップである後白河上皇を閉じ込めてしまい、孫にあたる安徳天皇を即位させ、思いのままの政治をすすめる事に成功しました。
そんな清盛や平氏に対して,反感をいだく者もふえていきます。1180年ごろから、清盛の政治に不満をもった武士たちが各地で兵をあげ、平氏と争うようになります。
その1年後、平清盛は熱病で64歳でなくなりました。清盛が生きた平安時代末期の大きな変化は、それまでの貴族中心の政治から武士が中心の政治へと変化したことです。
平清盛の年表を小学生向けに解説!
ここでは、平清盛の年表について、はじめて歴史を勉強する小学生の方にもわかりやすいように、なるべくわかりやすくご紹介します。
・1118年
平忠盛(たいらの ただもり)の長男として生まれる。
・1145年
平時子(たいらの ときこ)と結婚する。
二人の間には、4人の子供が産まれたと言われています。
・1153年
平忠盛がなくなり、清盛が平氏のトップになる。
・1156年
保元の乱がおこる。
平清盛と源義朝が協力して天皇方が勝利する。
武士である源氏と平氏が貴族にかわって政治に参加するようになる。
・1159年
平治の乱がおこる。
ライバルの源義朝に勝利し、清盛が政治の中心になる。
・1167年
太政大臣になる。平氏の力が大きくなる。
・1178年
娘の徳子が高倉天皇の皇子、安徳天皇を生む。
・1179年
平清盛の長男の平重盛(たいらの しげもり)が病死する。
後白河法皇が平氏の力を弱めようとしたため、やしきに閉じこめる。
・1180年
安徳天皇(平清盛の孫)が天皇になる。
以仁王(もちひとおう)が平氏を打つように全国の武士に呼びかける。
富士川の戦いで、平氏が源氏にやぶれる。
・1181年
平清盛が熱病によって64歳でなくなる。
・1185年
壇ノ浦の戦いで平氏がほろびる。
平清盛の年表を見てみると、源氏との戦いが多いことが分かりますね。
清盛率いる平氏は、のちに鎌倉幕府を開く源頼朝(みなもとの よりとも)の父親である義朝(よしとも)を破ります。
しかし、頼朝や弟の源義経(みなもとのよしつね)によって破れ、壇ノ浦の戦いでほろびてしまいます。
※参照:源義経ってどんな人?年表や源頼朝、弁慶との関係について!
この源氏と平氏の戦いを「源平合戦」(げんぺいがっせん)と言うのですが、これについてもう少し詳しく見ていきましょう。
平清盛ら平氏と源氏がたたかった源平合戦とは?
源平合戦とは、1180年から1185年までの平氏と源氏の戦いを指します。
太政大臣という非常にえらい地位までのぼりつめ、中国との貿易により金をたくわえ、日本の半分近くを治めるほどの力を持つようになった平清盛。しかし、その政治は貴族がやってきた事とあまり変わらなかったので、全国の武士のあいだで不満の声があがりました。
そんな中、平氏をたおそうと立ち上がったのが、後白河法皇の次男である以仁王(もちひとおう)でした。
この以仁王の呼びかけに答えたのが、各地の武士たちです。特に活躍したのが、かつて平治の乱で平清盛に敗れた源義朝の子、源頼朝や源義経らの源氏でした。
きっかけを作った以仁王は1180年5月に平氏の軍に敗れ、戦死してしまいますが、平氏打倒の勢いが増していきます。
いきおいに乗った源氏が一ノ谷の戦いや屋島の戦いなどで平氏を次々に打ち負かしていき、ついに1185年、壇ノ浦で平氏を滅ぼします。
この記事のまとめ
「平清盛ってどんな人?」というテーマで、年表や源平合戦などを小学生の方にもわかりやすいようにご紹介しました。
平清盛は貴族中心の時代に終わりをつげ、武士中心の世の中を作り上げました。平家一族の繁栄を築き、日宋貿易にとりくみ、お金をたくわえましたが、自分や一族にとっての思いのままを政治をおこなったため、たくさんの人たちの不満がうまれ、滅びることになった人物です。
平氏が滅んだあと、政治の中心となったのは源頼朝、そして頼朝がつくった鎌倉幕府でした。
鎌倉幕府については以下の記事でご紹介しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。
※参照:鎌倉幕府を小学生向けに簡単に解説。仕組みや滅亡した原因は?