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2017年の10月から、朝ドラ「わろてんか」が放送されます。このドラマの主人公である藤岡てんのモデルとなったのが、今回ご紹介する吉本せいという女性です。

一体どんな人だったのでしょうか。

夫の吉本吉兵衛や子供を交えて、吉本せいという人物について簡単にまとめてみました。

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吉本せいってどんな人?旧姓は「林」だった!


まずは吉本せいがどんな人だったのか、簡単にご紹介します。

吉本興業の創業者として知られる吉本せいは、1889年に今の兵庫県明石市に拠点を置く林豊次郎の三女として産まれました。「吉本」とは結婚した20歳以後に名乗った姓ですね。また、弟には後に吉本興業2代目、4代目、7代目社長になる林正之助、3代目社長になる林弘高がいました。

吉本せいは大変頭が良く、また周りからも可愛がられていた女性だったと言われています。小学校を卒業した後は花嫁修業という名目で島徳蔵方という米商人の元で働きに出ます。
この時、島徳はせいの才能を大変評価し、掃除洗濯だけではなく自分の商売の極意まで教えたのだとか。これらの経験が、後の吉本興業の経営に大いに役立ったと言われています。

また1938年には、通天閣を買収するといった事まで行っています。当時の通天閣は運営が非常に厳しくなっており、これを地元と関係ない業者に買われては大阪の恥だと考え、せいはこの建物を購入します。しかしその5年後、通天閣は火事によって全焼。残りの鉄くずは軍部に回収され武器製造に使われる予定となりました。
しかし、大阪が空爆を受けた時にこれらの残骸も全て溶けてしまいます。この事を聞いたせいは「人を殺す事に使われなくてよかった」と述べたと言われています。

吉本せいの夫、吉本吉兵衛ってどんな人?


そんな吉本せいの夫は、一体どんな人だったのでしょうか。

彼女の旦那は吉本吉兵衛(よしもときちべえ、通称を吉本泰三)という人物です。朝ドラ「わろてんか」では北村藤吉という名前で登場してますね。吉兵衛は1886年に大阪の荒物問屋の次男として生まれ、1910年にせいと結婚しました。また翌年には父の隠居を受けて、妻のせいと共に大阪府の北区にあった「第二文芸館」を買い受け、そこで奇席経営を始めています。これが今の吉本興業の原点になっています。

翌年の1913年には吉本興業部を設立。この時、吉兵衛・せい夫妻はは知人の紹介で当時まだ売れていなかった芸人を集め、自分たちの奇席で芸を披露させます。夫妻はやがて、傘下の芸人を率いて「花月派」というグループを結成し、やがて当時力を持っていた有力な奇跡を買収。いつしか大阪ナンバーワンの芸能プロモーターへと成長させていくのでした。

こうした経歴を見ると、吉本吉兵衛はとても優秀な経営者だったという気がしますね。しかし実際の吉兵衛は道楽者だったようで、奇席を始めたのも自分が好きな事を仕事にした感覚だったようです。経営の細かい事も妻のせいに任せきりだったと言われいる一方で、商売が軌道に乗り出すとこれに熱中。妻のせいや、義弟の林正之助と共に事業を急拡大させていきました。

1924年の2月、吉本吉兵衛は38歳でなくなります。吉兵衛の死後、吉本興業はせいと彼女の2人の弟が経営を担い日本全国に進出していく事になります。こうして見ると、経営の成功は妻のせいあっての事だという気もしますが、道楽気質で遊び人であった夫の吉本吉兵衛の存在があったからこそ、今の吉本があるのでは?という気もしますね。

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吉本せいに子供はいたの?息子の吉本穎右とは?


ところで、吉本せいには子供はいたのでしょうか?

実はせいは、夫の吉兵衛との間に8人(男2人、女6人)の子供を授かっています。しかし、このうち5人が早くになくなってしまっているんですよね。

その後、せいは成長した息子である吉本穎右(よしもとえいすけ)を自分の後継者にしようと考えます。1922年に生まれた吉本穎右は成長して早稲田大学に進学しますが、もともと病弱な所があり、1947年に24歳の若さでなくなってしまいます。その3年後の1950年にはせいもなくなっているのですが、その原因は穎右の最後にあったとも言われています。

気になる親子関係はどうだったのでしょうか?実は吉本穎右には8歳年上で、戦後に「ブギの女王」として当時の芸能界で人気ナンバーワンだった笠置シヅ子という女性と交際しており、しかもこの2人の間には娘も生まれていました。しかし吉本せいは息子の交際には反対しており、それは穎右の最後の時まで変わらなかったと言われています。

朝ドラ「わろてんか」の後編では、こうした母親と子供の葛藤なども描かれるかもしれませんね。また穎右の交際相手である笠置シヅ子は、あの美空ひばりが大きな影響を受けた歌手としても知られています。わろてんか吉本興業だけを単に描くのではなく、当時の芸能界、歌謡界などにもスポットを当てた作品になるのでは…今から期待大ですね。

この記事のまとめ


吉本せいがどんな人だったのかを、夫の吉本吉兵衛や子供を含めてご紹介しました。

せいが夫と奇席を立ち上げた時代、流行っていたのは落語でした。そんな中でせいは義太夫や琵琶、物真似や剣舞、音曲を生業にする人々を、年齢や前歴を問わず自分たちの舞台にあげ、また安価な入場料を採用して多くの人々に芸や笑いを提供します。

2017年後半の朝ドラ「わろてんか」では、こんな吉本せいの活躍が色々な点から見られる事でしょう。今から楽しみですね!

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