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関白・藤原道長、太閤・豊臣秀吉といったように、有名な歴史上の人物は役職名と一緒に呼ばれることが多いですよね。

その一方で、役職の名前は知っていても、具体的にどのような仕事をしていて、他の役職とどう違うのかよくわからないことってありませんか?

そこで今回は、摂政、関白、太閤、太政大臣、征夷大将軍といった役職ごとの違いについて、基本からわかりやすく説明します。

調べ物や学校のテスト勉強などに役立ててくださいね!
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摂政とは


摂政とは、その国の君主に代わって政治をする役職のことを言います。

日本では天皇がまだ幼いときや女性の場合、病気で政治が行えないときに、天皇に代わって政治を行う役職を摂政と言います。摂政には皇族をはじめ、母方の祖父や叔父といった「外戚」(がいせき)と呼ばれる親戚にあたる人々が任命されました。

最初の例は、推古天皇の時に聖徳太子が摂政に就任した時で、平安時代になると藤原氏が摂政の職を独占し、政治的な力を強めていきました。

一番近い例では、1921年11月25日から1926年12月25日まで、裕仁親王(昭和天皇)が病気の大正天皇に代わって摂政を務めていた事もあります。

関白とは


関白とは、成人した天皇を助ける形で政治を行う役職です。

摂政が天皇に代わって政治を行うのに対し、関白は天皇と一緒に相談をしながら政治を行うことが特徴です。政治の決定権はあくまでも天皇にあるということですね。

関白は、平安時代の中頃に藤原基経がその役職に任命されたことから始まりました。
その後の関白職は上記の摂政と共に、藤原氏が独占することになります。
いわゆる「摂関政治」と呼ばれるシステムですね。

藤原氏以外で関白になった人物として有名なのは、戦国時代の豊臣秀吉とその甥の秀次の二人だけでした。しかし秀次の死後、関白職はふたたび、藤原氏の子孫である五摂家が務める事になります。

※参照:藤原道長の子孫は現代にもいる?五摂家とは?

太閤とは


太閤とは摂政や関白の職を子どもや兄弟に譲った人のことを言います。

いわゆる名誉職と言ったところですね。ですが、もともと摂政や関白といった天皇と同等の権力を持っていた人が太閤に就任したため、それなりの権力や発言権はありました。

太閤という役職は平安時代からありますが、江戸時代以降になると太閤といったら豊臣秀吉のことを指すようになります。

それだけ、太閤に就任した後の秀吉の権力が強かったということですね。

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太政大臣とは


太政大臣とはもともと、皇太子など天皇と同じくらいの権力を持つ人が就く役職でした。

大宝律令が始まった後の太政大臣は太政官というお役所を統治する役職であり、律令政治のトップでもありました。太政大臣は人格的にも優れている人物が就くべきだとされ、ふさわしい人物が現れたときにだけ与えられる役職でした。

857年に藤原良房が任命された際には事実上摂政と同じような権力を持ち、以後100年に渡って摂政と一体の役職になりました。ですが、藤原氏による摂政・関白の地位独占が進むと、太政大臣の地位は名誉職そのものになりました。


また、平清盛や足利義満、豊臣秀吉、徳川家康とその息子の秀忠の5人は、公家以外で太政大臣に就任した事で知られています。

※参照:足利義満ってどんな人?年表や金閣寺を小学生向けに解説!

征夷大将軍とは


征夷大将軍と言えば、鎌倉幕府や江戸幕府などの「幕府」のトップを指す「将軍」のことを指す役職だと思われている方も多いと思います。

しかし、平安時代の征夷大将軍は、蝦夷(今の北海道)に住んでいた豪族を征伐するためにおかれた臨時の役職でした。この役職は派遣された軍隊の最高指揮官であり、天皇の代理人として軍事行為を行っていたため、軍事に関わる人にとって最も高い権限を持つ役職でした。


軍事行為を担当する武士が力を持つようになると、征夷大将軍は武家のトップの地位とみなされるようになります。征夷大将軍に任命された源頼朝が鎌倉幕府を開いて以降、征夷大将軍は軍事的権力と政治的権力とを合わせ持つ事実上の最高権力者となります。


その後、江戸幕府が滅亡するまでの約680年に渡り、征夷大将軍をトップとする武家の政治が続きました。

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この記事のまとめ


摂政、関白、太閤、太政大臣、征夷大将軍といった役職の違いについてご紹介しました。
これらの役職はともに政治的な権力を持つ人に与えられる役職という共通点があります。

細かな違いは、以下のようにまとめられます。

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摂政は、天皇が幼いときなどに天皇に代わって政治を行う役職。

関白は、天皇と共に政治を行う役職で、天皇の補佐的役割を持つ。

太閤は摂政や関白を経験した人がつく役職。
 太閤というと、豊臣秀吉のことを意味することが多い。

太政大臣は優れた人物がつく役職。
 一時期、摂政と同じくらいの権力を持つが、それ以降は名誉職になる。

征夷大将軍は武家のトップの人がつく役職。鎌倉幕府以降、征夷大将軍は政治的権力も合わせて持つことになり、日本の事実上の最高権力者となった。

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これらの役職は、どれくらいの権力を持っていたのかが時代によって変わります。

歴史の勉強をするときには、どの時代に、どの役職についている人物が一番権力を持っていたのか、それはなぜなのかを考えてみると面白いですし、理解が深まりますよ。