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雪舟(せっしゅう)という人は室町時代のお坊さんで、水墨画(すいぼくが)と呼ばれる絵を書いたことで有名な歴史人物です。

でもなんでお坊さんが絵を書くんだろう?と疑問に思われたりしませんか?
それにはきちんとした理由があったのです。

このページでは雪舟がどんな人だったのかを、年表や水墨画の解説と一緒にご紹介します。
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雪舟ってどんな人?小学生向けにわかりやすく解説!


まずは雪舟(せっしゅう)がどんな人だったのかを、小学生の方向けにご紹介します。

雪舟は室町時代に活やくした画家で、本名は等楊(とうよう)といいます。1420年に備中国(今の岡山県)の武士の家に生まれ、1506年に87歳で亡くなりました。子供の頃は宝福寺というお寺で禅の修行をつみますが、お経の勉強よりも絵を描くほうが好きだったそうです。

ちなみに、当時は絵を描くことも修行の1つでした。
雪舟のように、絵のことを中心に修行していたお坊さんは画僧(がそう)と呼ばれており、雪舟はこうした画僧の中でもっとも有名な人でした。

その後、京都の相国寺で周文に画法を教えてもらい、1467年に明(中国)にわたって大陸の自然やそこに暮らす人々の様子に接し、本場の水墨画(すいぼくが)を学びました。
雪舟は生涯の中でたくさんの水墨画を残しており、現代まで残る作品のうち6点が国宝に指定されています。

日本へ帰国した後は、山口県の雲谷庵(うんこくあん)に住み、多くの作品を残します。
代表的な作品には「四季山水図」「山水長巻」「秋冬山水図」「天橋立図」などがあり、こうした作品の多くは国宝や重要文化財にもなっています。

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小学生でもわかる!雪舟の簡単な年表


ここからは、雪舟がどのような人生を歩んだのか、年表を使って小学生の方にもわかりやすいように説明してみました。


・1420年(0歳)
備中赤浜(現在の岡山県)の武士の家に生まれる。
父親の名字は「小田」だったと言われています。


・1431年(11歳)
京都の相国寺に入って禅の修行をおこなう。
同じ頃、師匠である周文(しゅうぶん)から絵を学びはじめます。


・1464年(45歳)
周防山口(現在の山口県)の雲谷庵(うんこくあん)に住む。
この頃から、「雪舟」と名乗りはじめたと言われています。
(以前は拙宗等楊(せっそうとうよう)と名乗っていたそうです)


・1467年(48歳)
遣明船で明(中国)に渡り、本格的な水墨画について学ぶ。
雪舟は中国の各地をおとずれ、様々な絵を描きました。


・1469年(50歳)
日本に帰国する。


・1474年(55歳)
代表作の1つ「山水小巻」を描く。


・1476年(57歳)
豊後国(現在の大分県)に住み、県内各地の寺に優れた庭を残す。


・1479年(60歳)
石見国(今の島根県)で「益田兼尭像(ますだかねたかぞう)」を描く。


・1486年(67歳)
「山水長巻」を描く。


・1490年(71歳)
「自画像」を描き、弟子の等観(とうかん)に与える。


・1495年(76歳)
「破墨山水図」(はぼくさんすいず)を描き、弟子の宗淵(そうえん)に与える。


・1506年(87歳)
雪舟がなくなる。
ただし、1502年になくなったという説もあります。

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年表を見てみると、若い頃の記録がほとんど残っていない事がわかりますね。
実は、雪舟の生涯はわかっていない事も多いのです。

雪舟が有名になるのは江戸時代以降でした。この時代に活躍した画家の人たち、そして日本中の大名が雪舟の作品を気に入っていたからだと言われています。

雪舟が得意だった「水墨画」ってどんな絵なの?


ところで、雪舟が得意とした「水墨画」(すいぼくが)とはどのような絵画だったのでしょうか。

水墨画は「墨絵」(すみえ)とも呼ばれていて、鎌倉時代に中国から伝わりました。絵を描くときに墨しか使わないのが特徴で、その薄さ、濃さによって風景を表した形の絵です。

例えば、こちらは雪舟の『天橋立図』という作品です。

※参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/雪舟

墨だけでここまで風景を描けるのはすごいですよね。

日本における水墨画は、禅の修行を行うお坊さんが書くことが多かったみたいです。こうした人たちの中で最も有名なのが雪舟でしたが、この時代には他にも多くの水墨画を書いた画家がいて、その中には武士の姿もありました。

また、水墨画によって描かれたものは人間や花、鳥が多かったのですが、雪舟の時代になると「山水画」(さんすいが)と呼ばれる風景が描かれることが多くなります。
こうした水墨画の画家たちを支援する大名も多く、その中には室町幕府の8代将軍である足利義政の姿もありました。

※参照:足利義政ってどんな人?年表や応仁の乱を小学生向けに解説!

この記事のまとめ


雪舟がどんな人だったのかを、年表や水墨画の解説を交えながら小学生の方にもわかりやすいようにご紹介しました。

船に乗って、3年間も中国で水墨画を書いていた雪舟ですが、実は人や花、鳥の絵も書いていたようです。こうした別のタイプの絵を書いた経験をいかして、雪舟は中国とは違った、日本独自の水墨画のスタイルを作り上げました。

こうした功績を残した雪舟は海外でも有名で、1956年にはソ連(今のロシア)で記念切手が作られているほどです。他にはニューヨークで雪舟の絵が売られていた事もあったほど、絵画に与えた影響は大きなものでした。