FireShot_Capture_147_-_坂本龍馬の似顔絵イラスト_I_無料イラスト_か__-_http___www_irasutoya_com_2013_09_blog-post_28_html

坂本龍馬という歴史人物についてご存知ですか?

江戸時代から明治時代の変わり目に、とても大きな業績を残したすごい人物です。数多くのエピソードが残されている事からも、今でも多くの人に人気がある人物なんですよ。

このページでは、坂本龍馬がどんな人だったのかを、年表や業績をふまえながら小学生でも分かるように分かりやすくまとめてみました。
スポンサードリンク

坂本龍馬ってどんな人?小学生向けに分かりやすく解説!


坂本龍馬はどんな人だったのでしょうか。
小学生にもわかるようにまとめてみました。

坂本龍馬は1836年に、土佐藩の郷士(下級藩士)の家に生まれます。
実家は商売を行っていた裕福な家庭で、お兄さんが一人とお姉さんが三人いました。龍馬の社交的な性格と商売のセンスは、こうした環境で身についたのかもしれません。

大人になると、江戸幕府の偉い人だった勝海舟(かつかいしゅう)の弟子になり、そこで船の操作などを学びました。この経験をもとに長崎に亀山社中(かめやましゃちゅう)という日本ではじめての会社を作り、今でいう社長さんになりました。亀山社中は後に海援隊(かいえんたい)と呼ばれるようになり、この事から龍馬を日本ではじめての社長であると言う人もいます。

次に龍馬は、江戸幕府に攻撃されていた長州藩(今の山口県)のピンチを救うことを薩摩藩(今の鹿児島県)の西郷隆盛に提案し、仲が悪かった2つの藩が仲直りするために力を尽くします。
当時の薩摩藩と長州藩は、京都で戦うほど仲が悪かったのですが、龍馬の仲介によって仲直りに成功しました。これが出来たのは、龍馬が女性、男性問わずに好かれた魅力ある人物だという考え方もあります。

1867年、坂本龍馬は明治時代を迎える前に亡くなります。

実は龍馬は、明治政府で偉い人になる気はありませんでした。西郷隆盛にその理由を問われると、龍馬は「世界の海援隊をやりたい」と言ったそうです。こんな時でも会社を大きくすることが優先してしまうのですから、龍馬は根っからの社長さんだったのかもしれません。

※参照:西郷隆盛ってどんな人?年表や西南戦争を小学生向けに解説!

坂本龍馬の年表を小学生にもわかるように解説!


坂本龍馬の年表を、小学生にもわかりやすいよう簡単にまとめてみました。


・1835年(0歳)
土佐国(今の高知県県)で生まれました。


・1853年(19歳)
剣術修行のため江戸に行き、千葉定吉(小千葉)道場に入門します。
黒船が来航し、幕末の動乱が始まります。

 
・1861年(27歳)
土佐勤王党に入党しますが、攘夷を目標に掲げる勤王党に違和感を覚えます。


・1862年(28歳)
脱藩、勝海舟の弟子となります。
翌年、幕府が設立した海軍操練所に参画します。

※参照:勝海舟ってどんな人?年表や業績を小学生向けに解説!


・1865年(31歳)
薩摩藩の援助で長崎に亀山社中を設立します。


・1866年(32歳)
薩摩藩と長州藩を仲直りさせ、薩長同盟を結びました。
寺田屋で幕府の役人に襲撃されますが、恋人・お龍の機転で難を逃れます。


・1867年(33歳)
土佐藩の偉い人であった後藤象二郎(ごとうしょうじろう)と会談します。
これによって土佐藩とのつながりを深め、亀山社中は海援隊と名を改めます。
新しい国の基本となる「船中八策(せんちゅうはっさく)」を作ります。
また大政奉還(たいせいほうかん)の策を後藤象二郎に伝えます。
京都滞在中、刺客の襲撃を受け暗殺されました。

スポンサードリンク


33歳という若さで暗殺された坂本龍馬ですが、その一生の中で明治時代の基礎となる業績を数多く残しています。龍馬の業績とはどんなものだったのでしょうか。

以下でいっしょに考えてみましょう。

坂本龍馬が残した業績を3つまとめてみた


坂本龍馬は、明治政府が成立する上で欠かせない数多くの業績を残しています。

龍馬の業績は他にも色々あるのですが、ここでは特に有名なものをまとめてみました。

龍馬の業績その(1)薩長同盟(1866年)


当時、薩摩藩と長州藩はとても仲が悪い状態でした。
1864年に京都で行われた禁門の変では、戦争を行っているほどです。
その2つ藩を結びつけ、明治維新への最大の勢力としたのがこの薩長同盟です。
これは、龍馬の最大の偉業といわれています。

龍馬の業績その(2)大政奉還(1867年)


大政奉還とは、将軍職を朝廷に返すことです。
龍馬が土佐藩の偉い人である後藤象二郎に提案し、土佐藩から徳川慶喜に提案されました。

薩摩藩や長州藩が江戸幕府にあまりいい印象を抱いていなかったのに対して、土佐藩は江戸幕府に恩があったので、新国家を必要としつつも幕府と戦うことはできない立場にあったため、龍馬の提案は受け入れられました。

徳川慶喜はこれに応じて大政奉還を行い、薩摩藩や長州藩との全面戦争を回避しました。

龍馬の業績その(3)船中八策(1867年)

船中八策とは、坂本龍馬がまとめた明治政府の基本方針です。
船の中で考えたことと、8項目あったことからこう呼ばれます。

この基本方針は、明治政府の示した五箇条の御誓文としてまとめられました。内容としては議会による政治や不平等条約の改正、憲法の制定など、後に明治政治によって行われた事が多く含まれていました。

スポンサードリンク

この記事のまとめ


坂本龍馬がどんな人だったのかを、年表や業績とともに小学生向けに解説しました。

龍馬の業績をシンプルに考えると、①新勢力を作り、②旧勢力を守り平和的に革命を行って、③新しい国を作ろうとしたと言えます。幕末という時代を駆けぬけた龍馬が、もし暗殺されずに明治を生きていたらと考えると、とても興味深いですね。


なお、以下の記事では大政奉還を実際に行った徳川慶喜という人物について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:徳川慶喜ってどんな人?年表や大政奉還を小学生向けに解説!