豊臣家と徳川家の最終決戦となった大坂の陣において、豊臣方の牢人に「大坂五人衆」と呼ばれた武将たちがいることをご存知でしょうか。

その1人である毛利勝永は、大坂の陣で徳川家康の本陣に迫るなど、大きな活躍を成し遂げた事で有名な人物です。大河ドラマ「真田丸」では、ジャニーズ事務所所属の俳優、岡本健一さんが演じる事が決まってますね。

また、毛利勝永の妻や子孫についても触れてみました。

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毛利勝永の大坂の陣における活躍について


毛利勝永の大坂の陣における活躍ですが、特に夏の陣での功績が讃えられています。

毛利勝永が大坂夏の陣で参加した戦いは、主に道明寺の戦いと天王寺口の戦いが挙げられます。道明寺の戦いでは真田信繁と共に後隊として出陣し、前隊で戦死した後藤又兵衛隊の兵士を収容する働きを見せています。


そして、毛利勝永の大坂の陣における活躍と言えば、その翌日の天王寺口の戦いが有名です。

天王寺口の戦いは、豊臣方が徳川本陣の正面に布陣し、徳川本陣に攻め入った戦いです。徳川本陣前には、天王寺口だけでも本多忠朝や小笠原秀政といった約30もの武将が率いる大軍が守りを固めていたのですが、毛利勝永は各部隊を撃破。小笠原秀政や本多忠朝らを討ち取る手柄を挙げ、最終的には真田信繁と同じく徳川本陣に突入したとされています。

残念ながらその後、真田信繁が討ち取られた事もあって毛利勝永も撤退を余儀なくされますが、その際も藤堂高虎隊などを撃破。井伊直孝や細川忠興らの攻撃を防いで城内への撤収を成功させています。

これほどの活躍を成し遂げたにも関わらず、毛利勝永の知名度は真田信繁に比べ低いと言わざるを得ません。毛利勝永の大坂の陣における活躍について、江戸時代中期の文人である神沢杜口(かんざわとこう)は、「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」と述べ、その活躍を賞賛しています。

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毛利勝永の活躍を支えたのは妻の存在だった!


毛利勝永の妻ですが、正室である龍造寺政家の娘と、側室が一人いたとされています。
正室は1610年に亡くなったという記録が残っているのみですが、大坂の陣の際、この側室との逸話が残っています。

ここではこの逸話をご紹介します。

大坂の陣が近づいた頃、勝永は妻子に「豊臣の恩に報いたいが、そうすれば残った妻子に難儀がかかるだろう」と語りました。しかし、これを聞いた側室は、「主のための働きが家の名誉である。どうしても心配ならば私達は命を絶ちます」といい、勝永を大坂の陣へ送り出したのです。

戦の後、この話を聞いた家康は「志のあるものは皆こうあるべきであり、この妻子を罰してはならない」と家臣に命じ、側室と次男の太郎兵衛は保護される事になりました。しかし、大坂の陣の後で太郎兵衛は切腹させられる事になり、またこの側室は自害しています。

こうした逸話から、第二次世界大戦前の日本では、毛利勝永の妻は妻の鑑であるとされていました。

毛利勝永の子孫はいるのか?息子たちの生涯は?


浪人衆が活躍を見せたものの、結局豊臣方の敗北で大坂の陣は幕を閉じます。

大坂の陣の終わりには、豊臣秀頼の介錯を毛利勝永がしたとされていて、秀頼の自刃後、勝永および長男の毛利勝家等は大坂城内の蘆田矢倉で自刃をしています。

この時、毛利勝永の子として次男の太郎兵衛が残っており、土佐の場内で保護されていましたが、その後京都に移った後、斬首されました。

太郎兵衛が斬首された時の年齢は10歳で、後継がおりませんでしたので、毛利勝永の血筋はここで途絶えてしまいました。

この通り、毛利勝永の血を引く子孫はいないと考えられるのですが、その一方で父親の毛利勝信の子孫には、明治~昭和に現在のミクロネシア連邦で活躍した実業家、森小弁(もりこべん)という人物がいます。また、ミクロネシア連邦の7代目の大統領、マニー・モリ氏は、森小弁のひ孫に当たる人物です。

自分の縁者がオセアニア連邦で活躍してると毛利勝永が知ったら、とても驚くでしょうね(笑)

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この記事のまとめ


毛利勝永は真田信繁と同様、大坂の陣で徳川本陣に突入するという大活躍を見せました。

しかし、後世の人々は真田信繁の活躍を賞賛する一方で、毛利勝永について触れる事はあまり無かったようです。これほどの活躍を成し遂げたにも関わらず、両者の違いは一体・・・?

また、その妻は毛利勝永を大坂の陣へ送り出した事で知られています。直系の子孫は絶えてしまったものの、父親の毛利勝信の子孫は存在しているようです。.

この通り、毛利勝永にまつわるエピソードの数は多いので、大河ドラマ「真田丸」の放送によって、注目が上がりそうですね。


以下の記事では、毛利勝永の呼称である「大坂城五人衆」という言葉について詳しくまとめています。「三人衆」とも「七人衆」とも言われているこの言葉ですが、毛利勝永はこれら全てに含まれています。

その理由とは・・・

※参照:大坂五人衆とは?大坂三人衆や大坂七人衆という言葉も?