あなたは田中角栄という政治家についてご存知ですか?


生後100週年、没後25周年を前に、ここ最近田中角栄ブームが再燃しています。石原慎太郎氏の関連書籍も話題になってますが、そもそも田中角栄とはどんな人だったのでしょうか。


ここでは、角栄の年表や角栄ブームの火付け役の一因となった石原慎太郎氏との関係も含めて、田中角栄という人物に光をあててみたいと思います。
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田中角栄はどんな人だったのか?


まずは田中角栄がどんな人だったのかについて、簡単にご紹介します。

田中角栄を一言でいえば、戦後の日本をリードした熱い政治家だったと言えそうです。
16期に及ぶ議員生活の中で、内閣総理大臣を2年間務めたほか、郵政・大蔵・通産といった各省の大臣や自民党の幹事長(党の中で2番目に偉い人だと考えて下さい)を歴任しました。

また、新潟県出身としての初の総理大臣や大正生まれ初の首相であるほか、なんと戦後ではじめて大学を卒業していない首相でもあり、その経歴は、まわりの政治家の中でも異色と言っても過言ではなく、当時から多くの注目を集めていました。


政策としては、日本列島改造論をとなえ、交通インフラの整備を行い、都市に集中する人的物的資源を地方に分散させることを目指しました。また、人間関係においては相手の心の機微をよく捕らえ、敵対する陣営にまで熱烈な支持者がいたと言います。

その反面、そのために費やしたであろうお金にまつわる不正、いわゆる田中金脈問題が発覚し、総理大臣を辞任します。角栄の根源にあったのはお金だった、という人も少なくありません。結果としては、アメリカの航空機製造大手ロッキード社との贈収賄により逮捕起訴され、自民党を離党することになりました。

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田中角栄の年表をわかりやすくまとめてみた


田中角栄の年表を分かりやすく簡単にまとめてみました。

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・1918年(0歳)
新潟県で生まれました。


・1933年(15歳)
二田高等小学校を卒業します。


・1934年(16歳)
上京し、中央工学校に通います。1936年に卒業します。


・1939年(21歳)
徴兵され、満州へ赴任します。
肺炎を患い2年後の1941年帰国、建築事務所をおこしました。


・1946年(28歳)
衆議院新潟2区から出馬し落選します。


・1947年(29歳)
衆議院新潟3区から出馬し議員に初当選をはたします。


・1948年(30歳)
法務政務次官に就任します。
前年成立した臨時石炭鉱業管理法に関し、炭鉱主から賄賂を受け取ったとの容疑で逮捕収監されるものの、後に無罪となりました。


・1949年(31歳)
獄中から衆議院議員選挙に立候補し当選します。


・1950年(32歳)
議員立法を提出し、建築士法を成立させます。


・1952年(34歳)
議員立法を提出し、新道路法を成立させます。


・1957年(39歳)
郵政大臣となり、初入閣します。新聞社・キー局・ネット局体制の原型を作りテレビ局放送免許を通じて報道機関を掌握しました。
また、戦後初の30歳代での国務大臣としても話題を集めました。


・1961年(43歳)
自民党の政調会長に就任します。


・1962年(44歳)
大蔵大臣に就任します。


・1971年(53歳)
通商産業大臣に就任します。


・1972年(54歳)
「日本列島改造論」を発表します。
第64代内閣総理大臣となり、第1次田中角栄内閣が発足しました。
(~1974、第2次田中角栄内閣まで)
アメリカをはじめ内外の反対を押し切り、日中国交正常化を果たします。


・1973年(55歳)
第一次オイルショックの影響もあり高度経済成長が終焉し、掲げていた「日本列島改造」は挫折します。


・1974年(56歳)
ジャーナリストの立花隆らによって金脈問題を追及され、内閣総辞職に追い込まれました。


・1976年(58歳)
ロッキード事件で逮捕され、自民党を離党します。


・1983年(65歳)
ロッキード事件一審・東京地裁判決(懲役4年・追徴金5億円の有罪判決)があり、即日控訴しています。


・1993年(75歳)
刑事被告人のまま死去しました。

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田中角栄は大学を卒業していないものの、その学力や頭の回転は非常に大きなものだったと言われており、議員立法を提出するなどして戦後の日本政治に多大な貢献を果たしました。しかし、抱えていた金銭スキャンダルを追求され、最終的には内閣を総辞職しています。


また、田中角栄は人間的な魅力も非常に優れたものがあり、今なお多くの人々がその人柄に惹かれています。例えば、かつて東京都知事を務めた石原慎太郎氏は政治家としては角栄とは対立したものの、ここ最近『天才』という角栄本を出版し、話題を集めました。

この2人の人間関係について、もう少し詳しく見てみましょう。

田中角栄と石原慎太郎の関係はどのようなものだったのか


ここ数年、田中角栄ブームが再燃していますが、その火付け役となったのは石原慎太郎氏の書籍『天才』だとも言われています。しかし、田中角栄と石原氏とのこれまでの関係から、この作品に違和感をおぼえるという声も聞かれます。二人はどんな関係にあったのでしょうか。

1972年に、首相であった田中角栄は中国との国交正常化を果たしますが、これに当時の若手議員であった石原慎太郎は猛反対。その急先鋒として青嵐会という派閥を立ち上げ、文言春秋に『君、国売りたまう事なかれ』といった文章を掲載するなど、中国との関係を重視する角栄の政策を強烈に批判しています。

少なくとも、政治家としてはこの2人の考え方は全く違っていたと言えそうです。


その一方で、石原氏から見れば田中角栄は政治家としての先輩に当たります。

個人的な仲などを描いたエピソードはそこまでは多くないのですが、石原氏が東京都知事選挙へ出馬する前に角栄に面会した際、角栄は手厚い対応をしています。

個人的には、この2人は政治的には対立しているものの、田中角栄という人間に対して石原慎太郎はどこか惚れ込んでいるものがあるのではと感じています。
 
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この記事のまとめ

 
田中角栄がどんな人だったのかを、年表や石原慎太郎氏との関係を踏まえてご紹介しました。

「今太閤」と呼ばれるほど、かつての天下人であった豊臣秀吉のように人を引きつける魅力に満ちていた角栄は、今なお人々の人気を集めています。首相在任期間は金脈問題などの理由から2年半という短期で終わりましたが、その人柄に惹かれる人は、生後100週年が近いという事もあって確実に増えているみたいです。


なお、以下の記事では田中角栄の学歴や実際の学力について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:田中角栄の学歴やその学力について。天才と言われる理由は?