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歴史ファンの方の中で、つい「家系図」が気になるという方は多いと思います。

私も実はそうで、子供の頃は父や母に「うちの家系図はないの?」という事を聞いて回ったものです。今思うとうっとうしい子供だったなと思いますが。笑


この記事では、徳川家康の家系図について、出来るだけ簡単にわかりやすい形でご紹介します。
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徳川家康の家系図からかいま見える、家康の息子、娘の存在


徳川家康の家系図には様々な種類がありますが、まずは家康の父母及びその息子、娘の関係がわかるものを簡単にわかりやすい形で解説します。

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家康の父親は松平広忠、母親は於大の方です。当時の松平家は駿河国の今川家との関係を重んじていたのですが、於大の方の実家である水野家が今川家から織田家へ謀反を起こしたため、広忠は於大の方を離縁しています。その後、於大の方は久松俊勝という武将と再婚し、その間に家康の異父弟にあたる3人の男子を授かっています。


また、家康には11人の息子と5人の娘がいた事になります。
彼らのうち、家康の後を継いだのは3男の秀忠(右から5番目)でした。

なぜ3男が後を継いだのかと言うと、まず長男の信康は、武田信玄と内通したのでは?といった容疑をかけられて切腹に追い込まれ1579年に亡くなっています。そして次男の秀康は母親の身分が低かった事や、顔が悪く家康から嫌われたため、そして豊臣秀吉の養子となった時期があったため、後継者としてはどうなのよ?という感じで家康の跡継ぎにはなれませんでした。


また、家康にはこの家系図に掲載されている5人の娘以外にも、自らの異父弟にあたる松平康元や定勝、そして家臣の娘を自分の養女にして多くの大名に嫁がせました。大河ドラマで取り上げられた家康の養女としては、真田信之に嫁いだ本多忠勝の娘、小松姫や、黒田長政に嫁いだ保科正直の娘、栄姫などが有名です。

※参照:徳川家康の5人の娘について。亀姫、督姫、振姫の生涯とは?

徳川将軍家を支え、時には後を継いだ徳川御三家


家康の息子の中で有名なのは9男の徳川義直、10男の徳川頼宣、そして末っ子の徳川頼房です。いわゆる「徳川御三家」と呼ばれる家系の初代にあたる方々です。

※参照:徳川御三家の現在とは。尾張・紀伊・水戸の末裔はどんな人?

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彼らはそれぞれ尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家の初代藩主として、秀忠の血を引く徳川将軍家を支える役割を果たしました。また、7代将軍、徳川家継がわずか7歳で亡くなった後は、10男の徳川頼宣の血を引く徳川吉宗が8代目の将軍として徳川宗家を継承しています。


その後は徳川吉宗の血を引く者が将軍の座を継ぐことになりますが、14代将軍、家茂が亡くなった後は水戸徳川家の徳川慶喜が跡を継ぎます。

当時、徳川家茂が後継者として考えていた徳川家達(後に徳川宗家16代目の当主となります)がまだ子供だった事、そして幕末という動乱の時代という事もあって、その英明さが広く知られていた徳川慶喜が急遽、将軍職を継いだという流れになっています。


また、尾張徳川家は将軍家を継ぐ事は一度もありませんでしたが、徳川御三家の筆頭、そしてあらゆる大名家の中で最も格式が高い大名家として江戸時代を通して続きました。尾張徳川家は、現在まで残るあらゆる徳川家の中で、一番の資産家として今に至るそうです。

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徳川家康の家系図と、織田信長、豊臣秀吉の関係は?


また、徳川家康の家系図をより深く見ていくと、織田信長や豊臣秀吉が遠い親戚にいる事がわかります。

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家康と信長、秀吉を繋げているのは、2代将軍、徳川秀忠とその妻、小督です。彼女の母親は織田信長の妹、お市の方なので、徳川秀忠にとってお市の方は義母、その兄である信長は義理の伯父に当たります。

また、小督の姉である茶々は豊臣秀吉の側室となり、その後継者となる秀頼を産んでいます。他にも、秀忠の娘、千姫は豊臣秀頼に嫁いでおり、この点からは徳川家と豊臣家の繋がりが分かります。

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この記事のまとめ


徳川家康の家系図について、できるだけ簡単にわかりやすい形でご紹介しました。

家康の家系図を見ると、その膨大な子孫の数に驚かされます。これだけ多くの人数がいた事も、徳川幕府が260年以上も続いた一つの要因なのではと感じます。ライバルでもあると豊臣秀吉の子供の少なさも踏まえると、より家康の家系の安定ぶりが分かりますね。

ちなみに、以下の記事では織田信長の家系図を解説しています。興味があれば一度、ご覧になってみて下さい。

※参照:織田信長の家系図を簡単にわかりやすく解説!