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江戸時代が終わり明治時代になると、日本人の生活はヨーロッパやアメリカを意識したものへと変わっていきます。こうした動きを「文明開化」(ぶんめいかいか)と言うのですが、一体どのようなものが日本に入ってきたのでしょうか。


このページでは、文明開化をわかりやすく解説すると共に、これが当時の日本人に与えた影響についてもご紹介します。
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文明開化をわかりやすく解説!


文明開化とは、明治初年からはじまる西洋文明をさかんにとり入れようとした動きを言います。これにより、日本は急速な近代化を行うことができました。

江戸時代、外国との交流がほとんどなかったために、日本社会は世界からとり残されたように遅れてしまっていました。そのため明治政府は、日本の近代化を急ぎ、アメリカやヨーロッパの国々の制度や技術をはじめさまざまなものをとり入れようとします。

当時の日本人の、西洋文明を取り入れようとする姿勢はとても熱心であり、逆にこれまでの風習を皮肉った歌も存在します。それがこちらの、

ちょんまげ頭を叩いてみれば、因循姑息の音がする。
総髪頭を叩いてみれば、王政復古の音がする。
散切り(ザンギリ)頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。


といった歌です。

これは、まさに文明開化のさなかに流行した歌です。
ちょんまげ頭は因循姑息だ、時代遅れだ」という意味です。

また、「総髪頭」とは幕末ごろに増えた、おでこから頭頂部を剃っていない髪型のことです。
ちょんまげよりはマシだけれど、髪を結っているためやや時代遅れだといいます。
散切り頭とは、まさに今のはやりの髪型だというわけです。

この他にも、仮名垣魯文という作家はその著作で「牛鍋食わぬは開化不進奴」と書いています。牛鍋を食わないなんて、時代遅れな奴だ、という意味です。

こうした日本人の生活スタイルを変えるほど、文明開化は歴史上かつてないほどに、大きなうねりとなって日本中に吹き荒れました。もちろん、順風満帆とばかりはいかず、特に地方においては根強い抵抗もありました。

文明開化によって入ってきたものとは?


それでは、文明開化によって入ってきたものには一体どのようなものがあるのでしょうか。

例えば、洋服です。それまでは、和服しかありませんから、みな着物を着て暮らしていました。いまでは着物を見かけることの方が少なくなりましたね。
1871年には髪型や刀の所持が自由になり、その翌年には男性の大礼服(宮中で着なければいけない服装)が定められました。ちなみに女性の大礼服が定められたのは1886年で、男性より14年も遅れてのことでした。

また、西洋の食べ物も多く入ってきます。江戸時代を含めて、それまでの日本には動物の肉を食べるという習慣がありませんでした。一方で、明治の流行語にもなる牛鍋は、江戸時代には特別なことがない限り口にはできないものでしたし、口にできたのも鳥や猪の肉がほとんどでした。

このほか、街に目をむければ、街灯が並び、レンガの建物ができ、1872年には横浜から新橋まで汽車が走るようになります。暦も現在の暦である太陽暦が使われるようになります。

文明開化が進んだ明治時代には、学校に通って勉強する仕組みや郵便という手紙などを運ぶシステム、警察や軍隊などの組織化といったように、その後の日本社会のかたちが作られました。そして、それらの多くは現在まで残されています。

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文明開化が与えた影響をわかりやすく解説!


こうした文明開化は、当時の日本人にどのような影響を与えたのでしょうか。

文明開化が与えた最も大きな影響は、啓蒙思想というアメリカやヨーロッパで生まれた「人間はみんな平等である」という考え方が持ち込まれたことによります。
それまで、つまり江戸時代より古い時代の日本にはなかった考え方です。
江戸時代でさえ、身分に士農工商…武士と農民と工業者、商業者がいて、それぞれの間でははっきりと身分が分けられていました。

ところが明治になって、文明開化でそうした考え方が入ってくると、それまでのようにはいきません。明治政府も「四民平等」ということをいって国民はみな等しく平等だというようになります。それは一面では、政府に都合よく働いて、例えば軍隊を作るためにたくさんの兵隊さんがひつようになるわけですが、国民みんなを兵隊さんにするわけです。

反面では、みな平等とはいいながら、現実の社会にのこる不平等に不満の声があがるようになります。それらは自由民権運動と呼ばれ、最終的には憲法を作り、国会を作り、民主主義というみんなで世の中のあり方を話し合って決めるというルール作りを実現していくことになります。

それは、明治政府にとってはやりにくいことでもありました。特に新聞や雑誌が政府にとって都合の悪いことを書いた場合には、厳しく取り締まるようになります。明治の自由民権運動から大正時代の大正デモクラシーと呼ばれる社会運動を経て、民主主義が広がっていくのと歩調を合わせるように、そうした取り締まりも強化され続けるようになりました。

文明開化が当時の日本人に与えた影響は、単にヨーロッパやアメリカのいろんなものを取り入れた、というわけではありません。その後の日本の国そのものを変えてしまうようなエネルギーのもとになった、ということが言えると思います。

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この記事のまとめ


このページでは文明開化について、なるべくわかりやすくご紹介しました。

明治時代、西洋から洋服や食べ物といった新しいものが入ってきます。また、汽車や太陰暦、学校や郵便といったこれまでの時代になかったものも、文明開化によってもたらされたものと言えるでしょう。

また、文明開化は当時の日本人に「啓蒙思想」という考え方を持ち込みました。この考え方を明治時代に盛んに紹介したのが、1万円札でおなじみの福沢諭吉です。以下の記事で、福沢諭吉について詳しく紹介しているので、興味があればご覧になってみて下さいね。

※参照:福沢諭吉の出身や功績について解説。大隈重信との関係は?