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あなたは俳句で有名な人を誰か一人でも知っていますか?
日本には、俳句で有名な人が何人もいます。

その中でも、俳句の元となった俳諧(はいかい)を発展させ、世界的に知られているのが江戸時代に活躍した松尾芭蕉(まつおばしょう)です。

今回は松尾芭蕉がどんな人だったか、代表作の「奥の細道」とはどのような作品だったのかを、小学生の方でも分かるように年表を交えてご紹介します。
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松尾芭蕉ってどんな人?小学生にもわかるように解説!


まずは松尾芭蕉はどんな人だったのかを、簡単に見ていきましょう。

松尾芭蕉は、俳句のもととなった「俳諧」(はいかい)を、芸術として完成させた江戸時代前期の人物です。名前の「芭蕉」というのは、彼が1680年頃に名乗った俳句を作る人が名乗る「俳号」であり、本名は松尾宗房(むねふさ)と言いました。

芭蕉は、1644年に伊賀国(現在の三重県)の農民として生まれ、10代後半の頃から、当時でも有名だった俳人(はいじん:俳句を作る人)である北村季吟(きたむらきぎん)の下で俳諧の勉強を始めました。

その後、江戸で武士や商人に俳句を教えるかたわら、数々の作品を発表していきます。
中でも「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」という蛙に関する俳句は、芭蕉の俳句の中で最も有名な作品として知られています。

また、松尾芭蕉と言えば「奥の細道」という紀行文も有名です。「奥の細道」には、弟子の河合曾良(かわいそら)とともに日本各地を訪れた中で生まれた、多くの作品がおさめられています。

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松尾芭蕉の年表を小学生にもわかりやすく解説!


ここからは、松尾芭蕉の生涯を年表形式で小学生の方向けにご紹介します。

西暦年齢出来事
16440伊賀国(現在の三重県)で生まれる。
父親の松尾与左衛門は、この地域の有力者だったとされる。
166218伊賀国を治めていた藤堂(とうどう)家の一族、藤堂良忠に仕える。
良忠と共に、北村季吟(きたむらきぎん)の下で俳諧の勉強を始める。
166622主君である良忠がなくなったため、藤堂家から離れる。
167430北村季吟から俳句の腕を認められ、彼の元を離れる。
167531この頃から江戸に住み、多くの俳人と交流する。
168440出生地の伊賀へ向けて「野ざらし紀行」の旅に出る。
168642春の発句会で「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」を詠む。
168945弟子の河合曾良(かわいそら)と「奥の細道」の旅に出る。
この旅によって、芭蕉の代表作となる多くの句が詠まれた。
また、訪れた地で多くの弟子を獲得することにも成功した。
169450江戸から、伊賀、奈良、大阪へ向かい、大阪にて病死する。
葬儀には300人以上の弟子が参列したと言われている。

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松尾芭蕉の人生を年表で見ていくと、本当にたくさんの旅をしていた事がわかりますね。
芭蕉は一日で40キロから50キロ程の道のりを歩いたと言われています。

この事から、松尾芭蕉は江戸幕府のスパイとして、各地の大名たちを監視していたのでは?という説も主張されているほどです。

松尾芭蕉の代表作「おくのほそ道」ってどんな作品?

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松尾芭蕉の代表作である「奥の細道」ですが、具体的にはどのような作品だったのでしょうか。

「奥の細道」とは、実際の旅の行程を記した「紀行文」と呼ばれるジャンルの作品になります。主に東北地方から現在の富山県や石川県といった北陸を旅していて、その場所ごとに松尾芭蕉が詠んだ俳句も記されています。

始めの「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかう年も又旅人也(なり)」という文章も有名で、「月日もまた永遠に旅をする旅人のようなものだ」と時間を旅人に例えるところから始まります。

その中でも、特に有名な俳句として以下のものがあります。


夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

現在の岩手県の平泉町で詠まれた作品です。
かつてこの地で栄えた奥州藤原氏や、藤原氏と縁が深かった源義経について詠まれた作品と言われています。


閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声

現在の山形県山形市の立石寺(りっしゃくじ)で詠まれた作品です。
句の中で詠まれた蝉は、昭和時代に行われた調査の結果、ニイニイゼミだと判断されています。


五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川(もがみがわ)

現在の山形県北村山郡大石田町で詠まれた作品です。
梅雨の時期に、最上川に多くの雨が集まっている様子を描いています。

この記事のまとめ


松尾芭蕉がどんな人だったのかを、年表や「奥の細道」を交えながら小学生の方にもわかるようにご紹介しました。

松尾芭蕉は、それまで文学の一種だった俳諧の芸術性を高め、後の俳句に繋がる文化を作り上げた人物です。その功績から、芭蕉の俳句は海外にも知られている程です。

しかし、松尾芭蕉が世界的に有名なったのはこうした功績だけではなく、簡単にイメージできる親しみやすい作品を作っていたからではないか…と個人的には思います。

ちなみに芭蕉の作品については、以下の記事で詳しく解説しています。もし興味があればご覧になってみて下さいね。

※参照:松尾芭蕉が詠んだ有名な俳句とその意味を5つ解説!