室町幕府の初代将軍として有名な足利尊氏ですが、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、江戸幕府を開いた徳川家康と比べても地味な感じがして、あまりよく知らない…という方も多いのではないでしょうか。

そこでこの記事では、足利尊氏がどんな人だったのかを年表を用いてわかりやすく解説すると共に、尊氏が開いた室町幕府について、小学生向けにわかりやすく解説していきたいと思います。

テストや調べ学習の参考にしてみて下さいね!

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室町幕府の初代将軍。足利尊氏ってどんな人?


足利尊氏について、ざっくり言うと、ずばり「室町幕府を開いた人」ということになります。

尊氏が生まれた1305年は、源頼朝がひらいた鎌倉幕府が日本全国の支配を進めていた時期でした。しかし、当時の鎌倉幕府のトップは源頼朝の子孫ではなく、頼朝の家臣であった北条氏が武士の中では1番力のある存在でした。

尊氏の実家である足利家も北条家に仕えており、尊氏もはじめは鎌倉幕府の味方でした。しかし、この時代は、鎌倉幕府が各地の武士に恩賞を与えないことで日本中の武士の不満がたまっていました。また、武士から政治を取り戻そうとする後醍醐天皇らの力も大きくなっていました。


そんな中、尊氏は1333年に後醍醐天皇方に味方して、京都の六波羅探題を攻撃します。
同じころ、上野国(いまの群馬県)の武士である新田義貞が反乱して鎌倉に乱入、北条氏と鎌倉幕府を滅ぼします。


また、足利尊氏の人柄ですが、配下の武将から非常に人気のあったそうです。

例えば、戦場で戦っている味方の武将に、その場で恩賞を約束する直筆の手紙を渡すこともあったのだとか。人からもらった贈り物も、すぐにほかの誰かに分け与えてしまいます。
そして戦闘中、どんなに危険が迫っても、尊氏は笑みを浮かべて恐れなかったといいます。配下の武将から見れば、気前のいい、頼もしい将軍だったに違いありません。

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足利尊氏がひらいた室町幕府って?


足利尊氏は、後醍醐天皇のために鎌倉幕府を倒した功労者となります。
尊氏はもともと「高氏」という名前だったのですが、鎌倉幕府をほろぼした後、後醍醐天皇の名前である「尊治」の名前の1文字をもらった事もあります。

しかし、後醍醐天皇がはじめた建武の新政は、公家のための政権で武士には冷たいものでした。このため、家来から人気があった足利尊氏がリーダーとなって、後醍醐天皇の政治をやっつけようとなります。

その結果として、尊氏は1338年に、後醍醐天皇と仲が悪かった光明天皇から征夷大将軍の位をもらいます。こうして室町幕府が成立します。しかし、後醍醐天皇も黙ってはいません。尊氏の室町幕府と後醍醐天皇の勢力が真っ二つになり、いわゆる南北朝時代を呼んでしまいます。
南朝と北朝にそれぞれ天皇が存在するわけですから、とてもややこしい時代です。


しかも、尊氏はこの後、室町幕府内の権力争いに巻き込まれます。

なんと、子供の頃から仲が良かった1歳年下の弟、直義(ただよし)と戦うことになってしまうのです。なんとか弟との戦いに勝利した尊氏と室町幕府ですが、その出発の当初からなんとか堕ちずに飛んでいる飛行機のようなとても危ない状態でした。

この危ない状態のなか、1358年に尊氏はなくなります。室町幕府が落ち着くのは、尊氏の孫の3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)の時代になります。義満は1392年に南朝と北朝をふたたび結びつけました。これでようやく、南北朝時代は終わる事になります。

※参照:足利義満ってどんな人?年表や金閣寺を小学生向けに解説!

足利尊氏の年表をわかりやすく解説!


ここからは、小学生向けの足利尊氏の年表を簡単に解説していきたいと思います。

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・1305年(0歳)
足利貞氏(あしかがさだうじ)の次男として生まれます。

※参照:足利尊氏の祖父や父と北条家との関係は?妻の赤橋登子も紹介


・1319年(15歳)
元服して「高氏」と名乗ります。


・1331年(27歳)
父の足利貞氏がなくなります。
兄の高義はすでに亡くなっていたため、高氏が家督を継ぎます。
後醍醐天皇が挙兵(元弘の乱)したため、幕府は高氏をつかわします。
高氏は、父の喪中を理由に辞退するも認められず、不満を感じたといいます。


・1333年(29歳)
後醍醐天皇がふたたび挙兵。幕府は再び高氏をつかわします。
しかし高氏は天皇に味方して六波羅探題を攻撃・滅亡させます。
同じころ、上野の御家人・新田義貞らが鎌倉に乱入、幕府は滅亡します。
後醍醐天皇の名前をひと文字もらい受け、名を「尊氏」と改めます。
しかし、武家を軽視する後醍醐天皇の政治に、尊氏は失望します。


・1335年(31歳)
北条氏の生き残りが挙兵したため、これをたおします。
その後鎌倉にとどまり、後醍醐天皇と建武の新政から独立します。


・1336年(32歳)
京都に入るも、後醍醐天皇の家来の武将たちに敗れ、九州に下ります。
九州でふたたび勢力を盛りかえすと、尊氏軍は再び京都へ向けて進軍します。
京都を制圧して光明天皇を即位させ、武家政権の樹立を宣言します。

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ここまでが、室町幕府を成立させる前の尊氏の年表です。

尊氏にやぶれた後醍醐天皇は吉野(今の奈良県)に逃げ込みます。


これ以降を、「南北朝時代」と呼ぶことが多いですね。

南北朝時代の尊氏の人生も、引き続き見ていきましょう。

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・1338年(34歳)
尊氏、征夷大将軍に任じられます。名実ともに室町幕府が成立しました。
幕府内部では、弟・直義が政治を担当し、兄にあたる尊氏は軍事を担当します。


・1349年(45歳)
直義と尊氏の家来・高師直(こうの もろなお)の争いが目立つようになります。
やがて、尊氏と直義の兄弟の仲も悪くなり、兄弟で戦うようになります。


・1352年(48歳)
直義を降伏させ、鎌倉に閉じ込めます。
その後、直義は急死しており、尊氏による毒殺とも言われています。
その後、南朝との戦いがおこるも、最終的に尊氏が勝利します。


・1358年(54歳)
戦いで受けた傷がもとで、尊氏は亡くなります。

この記事のまとめ


足利尊氏ってどんな人?」というテーマで、尊氏の年表や室町幕府について小学生の方にもわかるようにご紹介しました。

尊氏が活躍した鎌倉時代の終わりから南北朝時代は、色々な人が敵味方に分かれてややこしい時代です。こうしたややこしさが、同じ「幕府」をひらいた源頼朝や徳川家康に比べて、尊氏という人物を地味なものにしているのかもしれません。