古今和歌集や百人一首でも有名な在原業平ですが、女たらしとしてもかなり有名な人物です。
在原業平の歌が好きだった当時小学生の私も、在原業平自身を調べてとてもショックを受けたことを覚えています。

自分の親友の娘を妻にしたり、天皇の女御候補だった藤原高子や小野小町など、美人と見れば口説いちゃう生粋のプレーボーイ。

今回は、そんな在原業平のスキャンダラスな女性遍歴をご紹介します。

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在原業平の華麗なる女性遍歴—親友の愛娘・紀有常女を妻に!


在原業平は、その系譜を辿れば祖父は平城天皇、父は阿保親王という、とても由緒あるお血筋。

しかし、お父さんの阿保親王が後継者争いに負けて左遷。
お陰で在原業平も臣籍に降下して武官となり、所謂エリートコースからは外れてしまいます。


そんな在原業平ですが、それはそれは美男子だったそうです。
何せ、町で在原業平を一目見た女性が一目惚れをして、恋い焦がれるあまりに亡くなってしまったという話もあるくらいですから。

因みにこの逸話は、在原業平がモデルとされていたことでも有名な伊勢物語に収録されています。


実は、在原業平の女性遍歴集といっても過言ではないこの伊勢物語。
物語内では、関係を持った女性の数、なんと3733人!
実際の在原業平が、どれだけの女性と関係を持ったかは分かりませんが、モデルとされてしまうくらいですから、女性関係が派手だったことは公然の事実だったのでしょう。


そんな超イケメン在原業平には、10歳年上の親友、紀有常がいました。
二人は年齢差を感じさせないほど仲良しだったそうです。

けれど、その親友の愛娘に手を出してしまうのが在原業平。
しかも、実はこの娘さん、在原業平が仕えていた主の従姉でもあります。
そんな女性に手を出して妻にしてしまうのだから、さすが生粋の女たらし。

ちなみに在原業平と妻の間には、息子である在原棟梁(ありわらのむねやな)が生まれています。この人物も、父の業平と同様歌人として知られ、古今和歌集にもその歌が掲載されています。


その一方で、在原業平は、妻の従姉妹で伊勢斎宮だった女性にも手を出しています。
伊勢斎宮とは伊勢の神様に仕える女性、つまり神様の奥さんです。

神様の妻にも手を出してしまう在原業平。
その女好きは、時代というより、もはや天性のものなんでしょうね。

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在原業平の禁断なる女性遍歴!天皇の女御候補・藤原高子との逢瀬!


在原業平の恋人として外せないのが、後の二条后となった藤原高子との熱愛でしょう。

この藤原高子は、当時、栄華の極みにあったあの藤原家の娘さんです。
とても美人さんだったらしく、後の清和天皇の女御候補(天皇の後宮の位の一つ)として、蝶よ花よと育てられていた女性です。

藤原高子は女御候補として、入内(後宮に入る)前、仁明天皇の后だった藤原順子の屋敷・東五条院で暮らしていました。

そんな東五条院に在原業平は忍び込み、藤原高子の元へと足繁く通っていたそうです。

伊勢物語にみると、二人のモデルであろう人物たちは、あるとき駆け落ちを決意。
上手く屋敷から脱出するのですが、逃げる途中で失敗してしまいます。


実際は、おそらく屋敷から連れ出すことも難しかったのではないかと思います。
何せ、繁栄を維持したい藤原家にとってみたら、藤原高子は在原業平なんかに手を出されちゃ困る大切な娘です。

ただ、この二人のスキャンダルは、当時の宮廷中を騒がすスキャンダルだったことは事実なようで、その後、藤原高子は別邸に移され、在原業平は東国へと流浪の旅に出ているのです。

因みに、藤原高子が女御になって東宮(皇太子)を生んだ後、在原業平は蔵人頭として返り咲いていますから、平安時代って意味深長で面白いですよね。

在原業平の伝説的女性遍歴—絶世の美女・小野小町との熱愛!


平安時代を代表するプレーボーイ在原業平ですが、実は小野小町もその恋人の一人だったという説があるのです。

※参照:小野小町の和歌や晩年について解説。墓はどこにあるの?


小野小町といえば、あまり詳しい内容が残されておらず謎に包まれた人物でもありますが、絶世の美女だったという噂は有名です。
そんな美人を、生粋の女好きである在原業平が放っておくわけありません。


小野小町は、「大和撫子」というイメージを持っている方が多いと思います。
しかしこの小野小町、実はとても大胆で積極的。
熱しやすく冷めやすいタイプの恋多き女性でした。

そのため、ノリノリの恋人気分で文を送った在原業平に対し、唐突に「その気はありません」という文を返しちゃったりします。

名うてのプレーボーイである在原業平よりも、小野小町の方が一枚上手だったようですね。

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この記事のまとめ


在原業平は親友である紀有常の娘を妻にしており、2人の間には息子にして歌人である在原棟梁(ありわらのむねやな)が生まれています。

その一方で、在原業平は時の権力者、藤原家が大切に育てた天皇のお嫁さん候補でも、美人ならマメに通い詰めて落とす生粋の女たらしでした。
ただ、日本を代表する美女・小野小町にはなかなか苦戦したようです。


女性とのスキャンダラスな逸話を残す在原業平ですが、その生涯は、不遇の人生とも言えます。
世が世なら、何不自由なく皇族として華やかな生活を送ることができたでしょう。


ちなみに、在原業平と言えば百人一首に収録されている「ちはやぶる〜」の句も非常に有名です。この歌について以下の記事で解説しているので、一度ご覧になってみて下さい。

※参照:ちはやぶるの意味とそのイメージは?千早の意味も解説!